告知「再:生成 相原信洋 Re:GENERATION Nobuhiro Aihara」


「再:生成 相原信洋 Re:GENERATION Nobuhiro Aihara」
期間:2月10日(土)~2月16日(金)
会場:渋谷UPLINK
料金:1回券1,500円/会員1,000円
http://www.uplink.co.jp/movie/2018/50105

2月10日(土)【Aプログラム】17:30~18:50【Bプログラム】19:30~20:41
トーク:ひらのりょう(アニメーション作家)
    土居伸彰(ニューディアー代表/新千歳空港国際アニメーション映画祭)

2月11日(日)【Cプログラム】17:30~18:50【Dプログラム】19:30~20:39
トーク:木下小夜子(広島国際アニメーションフェスティバル)
    阪本裕文(NPO法人戦後映像芸術アーカイブ/稚内北星学園大学教授)

2月12日(月)【Aプログラム】17:30~18:50【Eプログラム】19:30~20:36
トーク:牧野惇(P.I.C.S./映像ディレクター)
    阪本裕文

2月13日(火)【Cプログラム】21:00~22:20

2月14日(水)【Bプログラム】19:30~20:41
トーク:石田尚志(美術家・映像作家)
    西村智弘(美術・映画評論家)

2月15日(木)【Dプログラム】21:00~22:19

2月16日(金)【Eプログラム】21:00~22:16

精緻なドローイングとサイケデリックな色彩によって混沌とした世界を描き出した、日本を代表する個人アニメーション作家・相原信洋[1944〜2011]。2011年に滞在中のバリでの急逝より、今年で早くも8年となる。アニメーションの世界にとどまらず、実験映画にも通じるアヴァンギャルドな映像世界に影響を受けたアーティストは数多い。70本に及ぶその膨大な作品群は、2016年よりフィルム整理とデジタル化が進められていたが、このたび全ての作業が完了した。今回の上映では高精細なデジタルで蘇った相原の作品を、年代ごと5プログラムに分けて一挙上映する。

Aプロ「記録するアニメーション[1969-1973]」では、当時の政治的な空気を感じさせる『Stop』や、作家の幼少期の記憶とアニメーションが混ざり合った『やまかがし』『みつばちの季節は去って』などが上映される。
Bプロ「拡張するアニメーション[1974-1981]」では、アニメーションの枠組みを超えて外の世界に拡張してゆく『Stone』に連なる作品と、精神の内奥をドローイング・アニメーションによって探求する『妄動』に連なる作品が上映される。
Cプロ「Animated Psychedelia Ⅰ[1974-1981]」では、『逢魔が時』『映像(かげ)』によって確立される、相原信洋ならではの、ドローイング・アニメーションによるサイケデリアが炸裂する。その強度はDプロ「Animated Psychedelia Ⅱ[1982-1991]」において増大してゆき、『ZAP CAT』で極点に到達する。
Eプロ1「Small Animation[2009-2010]」は、晩年にアーティスト・イン・レジデンスで制作された、小さな工芸品のようなアニメーション群を上映するほか、Eプロ2「未編集+レア映像」では、エクスパンデッドシネマ的なパフォーマンスのための『LIGHT』や、『Stone』の未使用素材、完全なかたちで現存しない作品の残存部分などを上映する。

主催:UPLINK・NPO法人戦後映像芸術アーカイブ・阪本裕文・五十嵐健司
協力:大島治、大西宏志、Lumen Gallery
※上映素材のデジタル化作業は、JSPS科研費15K02184の助成を受けたものです。


上記の通り、2016年より開始された相原信洋作品のデジタル化作業が完了したので、その全成果を渋谷アップリンクにて一挙上映します。2017年4月に京都ルーメンギャラリーで開催された「相原信洋七回忌追悼映像展」と、2017年8月に札幌第2マルバ会館で開催された「LOTUS 相原信洋作品上映会」の東京編となります。上映される作品は、個人作品のみで全部で70本にも及びます。2016年の春に京都造形大にお伺いして、保管されていたフィルム缶の山を見た時には、これはかなりの難作業になりそうだなと思いましたが、本当にそうなりました。その後、フィルム整理を開始したのですが、画ネガが未編集だったり、そもそも音ネガがなかったり、上映用プリントにバージョン違いがあったりして、デジタル化の作業は結局2017年の夏の終わりまでかかりました。細かい注文に対応してくれたイマジカや、フィルム整理に協力してくれたフィルムセンターの方には感謝です。ちなみに、デジタル化作業の完了した相原作品のネガや上映用プリントは、全てフィルムセンターに寄贈されました。これで一安心なので、あとはデジタル化した上映素材を観てもらう機会を幅広く作ってゆくだけです。

トークゲストについても少し書いておきます。10日はWIREDでの連載「ワールドアニメの生態学」で新鮮な対談を繰り広げたひらのさんと土居さんに、相原さんをテーマに自由にトークしてもらいます。11日は相原さんの永年の理解者であった広島国際アニメーションフェスティバルの木下さんに、相原さんとのかかわりや思い出話をお聞きします。そして、12日はメジャーなミュージシャンのMVを手がけたりしているP.I.C.S.の牧野さんに、相原さんのワークショップで学んだ思い出をお聞きし、教育者としての相原さんの側面に光を当てます。14日は相原さんに匹敵するアニメーションの異端といえる美術家・映像作家の石田さんと、実験映画に詳しい西村さんにアナーキーなトークをキメてもらいます。それぞれ異なる視点からのトークが聞けると思うので、よろしくお願いします。

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「グリーンランド」 中谷芙二子+宇吉郎展@銀座メゾンエルメス フォーラム

「グリーンランド」 中谷芙二子+宇吉郎展
会場:銀座メゾンエルメス フォーラム
会期:2017年12月22日~2018年3月4日
http://www.maisonhermes.jp/ginza/le-forum/archives/405275



現在、銀座のメゾンエルメス フォーラムにて中谷芙二子+宇吉郎による展覧会「グリーンランド」が開催されている。中谷芙二子は、「ビデオひろば」に参加して最初期のビデオによる表現を開拓した先駆的なビデオアーティストであり、E.A.T(Experiments in Art and Technology)との協働による日本万国博覧会ペプシ館(1970)に始まる霧の彫刻でも知られる芸術家である。そして雪の結晶の研究で著名な科学者であり、岩波映画製作所の設立にも深く関わった中谷宇吉郎は、芙二子の父親である。この展覧会は、科学と芸術という異なる専門に取り組んできた親子の仕事を併置して、両者に通じ合うものを浮かび上がらせるものとなっている。

エレベーターを降りて展示フロアに足を踏み入れると、そこには芙二子がアメリカ留学中に描いた抽象的な油彩画が二点掛けられているが、テクノロジーと深く関わった中谷の原点が、伝統的な絵画にあるというのは興味深い。そして、右の展示室に進むと、そこには1957年から1960年にかけて行われた、宇吉郎のグリーンランド調査に関わる写真や資料が展示されているほか、芙二子が1994年にグリーンランドを訪れた際のビデオ映像がプロジェクションされている。

そして、この展示室の奥の開けた空間には金属製の機材が設置されている。これが今回の展示の中心となる『Glacial Fogfall』(2017)のための噴霧器である。この噴霧器からは定期的に大量の霧が噴出し、メゾンエルメスの内部空間を濃霧で満たす。メゾンエルメス外壁のガラスブロックは氷を思わせる質感を持っているが、そこから芙二子は今回の展覧会のタイトルである「グリーンランド」を着想したらしい。観客は非日常的な濃霧のなかで、この環境と、自分の身体との関係性を探ることになる。



このような観客の身体を内包した環境への関心は、芙二子のビデオアートのコンセプトとも共鳴している。左の展示室では、宇吉郎の用いた器具と研究成果である写真やファイルと共に、芙二子が1970年代に用いていたポータパック(ビデオカメラとレコーダーが分離した、初期の携帯型ビデオ機器)と、ビデオ作品『モナリザのしっぽ』(1974)と『風にのって一本の線を引こう』(1973)が展示されている。前者は、当時大きなブームとなった東京国立博物館での名画『モナリザ』の展示を観るため、長い行列に並んでいる人々にインタビューして周り、その様子を捉えた作品である。これは、『水俣病を告発する会―テント村ビデオ日記』(1971~1972)に始まる、ビデオによって社会的なコミュニケーションを媒介するというコンセプトに連なる作品だといえる。後者は、1973年に京都で開催された「映像表現’73」に出品されたビデオインスタレーションための映像であり、蜘蛛が巣を張る様子が長回しで撮影されている。この二作品は、共に観察対象となる環境をビデオによって媒介する(=可視化する)という性質を持っているが、それは芙二子の他のビデオ作品にも共通するものだといえる。その他、展示室の奥のモニターでは、過去に行われた霧の彫刻の記録映像が上映されており、芙二子の創作活動を全体的に捉えた、バランスの良い展示になっていた。

科学者と芸術家という異なる専門に進んだ親子であるが、その環境への関心と観察眼は深く通じ合っていたことがよく伝わる、素晴らしい展覧会だったと思う。ガラスブロックを透過した外光との調和が見事なので、可能であれば晴れた日の昼間に観に行くことをお勧めしたい。

DVD/Blu-ray 2017

もう年が明けてしばらく経ってしまったが、2017年に発売もしくは再発(発掘)されたDVD/Blu-rayで、重要なものを以下に挙げておきたい。



・Alan Schneider, Samuel Beckett – Film(Milestone Films|Blu-ray)
サミュエル・ベケットの脚本、バスター・キートンの主演によるコンセプチュアルな前衛映画『フィルム』(1965)。古典的な作品だが、Blu-rayで観られるようになったことの意味は大きい。作品コンセプトについては、菊池慶子「ベケット『フィルム』試論」(http://www.waseda.jp/bun-france/vol27.htm)に詳しい。



・Fernando Birri – Org(Filmgalerie 451|DVD)
年末に亡くなったフェルナンド・ビリは、ラテンアメリカにおける映画運動の重要人物であるが、政治的理由で1960年代半ばから1980年代半ばにかけてイタリアに亡命していた。面白いのは、その期間に10年以上もかけて、3時間にも及ぶ長大な実験映画『ORG』(1967-1978)を制作していたことだろう。



・Peter Tscherkassky – Exquisite Corpus(Index|DVD)
言わずと知れたオーストリアの実験映画作家ペーター・チェルカススキーのスーパー8による初期作品4本(1981〜1989)と、35mmによる近作『The Exquisite Corpus』(2015)を収録したDVD。アプローチはそれぞれの作品で異なるが、この作家に一貫する支持体としての映画フィルムへの執着を確認することができる。



・Jean Rouch – Eight Films by Jean Rouch(Icarus Films|DVD)
・Jean Rouch – Le cinéma Léger(Editions Montparnasse|DVD)
生誕100年ということで国内でも特集上映が行われた、民族誌映画の代表的作家ジャン・ルーシュの作品集がまとめてリリースされた。前者はDVD4枚に8本、後者はDVD10枚に28本収録(後者は年末にリリースされたので、まだ手元に届いてないが)。その物量にも驚くが、それでもフィルモグラフィーは網羅できない。



・Abel Gance – J’Accuse édition numérotée(Gaumont|Blu-ray, DVD)
アベル・ガンスの『戦争と平和』(1919)は幾つものバージョンがあることで知られるが、この巨大なボックスセットの目玉は、1938年のリメイク版を素材として、1956年に三面ポリヴィジョンで上映された『マジラマ/戦争と平和』の復元版の収録であろう。中央スクリーンに対してシンメトリーに配置される左右スクリーンは、オカルトめいた終盤の展開と相まって強烈なトラウマを観客に与える。資料的価値は高い。



・クリス・マルケル – ラ・ジュテ(角川書店|Blu-ray)
静止画像で構成されたSF短編映画としてあまりに有名な、クリス・マルケルの『ラ・ジュテ』(1962)が、遂にBlu-rayになった(しかも日本盤)。このBlu-rayの、元々の写真の網点がはっきりと見える精細なスキャンのクオリティは特筆ものである。モノクロの網点の上で映画フィルムの粒子は粟立ち、それによって観客は「これは写真を再撮影した映画なのだ」ということを明確に自覚する。そして、この明確化の意味が最も発揮されるのは、この映画の中で唯一、時間が動き出すあのシーンであることは言うまでもない。このBlu-rayを観て、私は、初めてこの映画を観た時に匹敵する衝撃を受けた。



・Toshio Matsumoto – Funeral Parade Of Roses & Avant-Garde Short Films(Cinelicious Pics|Blu-ray)
2014年より松本俊夫監督が取り組んできた劇映画『薔薇の葬列』(1969)4Kデジタル修復は、フィルムセンター所蔵の35mmオリジナルネガを使用して、イマジカで高解像度スキャンを行い、松本監督の監修を受けながら北米でデジタル修復が進められた。この最新のデジタル素材が、松本俊夫作品の映画史的な重要性を更に広めてくれることは間違いないだろう。
また、このセットには松本監督のセレクトによって『薔薇』の前後に制作された8本の記録映画・実験映画が、4Kもしくは2Kデジタル修復のうえ収録されている。このような劇映画と記録映画・実験映画を組み合わせた構成で作品集がリリースされるのは初めてのことであり、これによって松本監督の持っている越境性が広く知られるようになれば、それは素晴らしいことだと思う。