第10回恵比寿映像祭「不可視であるなら、私が。 出光真子おんなのさくひん」@東京都写真美術館

恵比寿映像祭についてのレビューは展示についてのものが多く、上映プログラムについてはあまり言及がないように思う。しかし、この映像祭は上映プログラムこそが重要であり、そこでは美術と映像を越境した、総合テーマに深く関わる作品が集められている。今年で言えば特に重要だったのは出光真子、岡部道男の特集プログラムと、足立正生らによる『略称・連続射殺魔』の35mm上映プログラムであり、それらは社会的に不可視化されていたジェンダーの問題や、公的な世界から存在しないものとして扱われた存在を主題化する仕事であったといえる。
出光真子は、ジェンダーの問題を批判するビデオアートや執筆活動で著名な作家だが、活動の初期にあたる1965年から1973年にかけてカリフォルニアを拠点とし、そこでブルース・コナーなどに実験映画を学んだという。このようなアメリカ西海岸の実験映画を背景とした出光のフィルム作品は、後年の社会的でコンセプチュアルなビデオ作品とはまた異なった、身近な風景を被写体とした情感豊かな表現を含んでいる。フィルムにおける親密な風景の表現と、ビデオにおける社会的な表現、この二つの方向を一人の作家の仕事として見直すこと、それがこのプログラムの目的だったと思う。フィルム作品とビデオ作品を交互に配置したその構成は、大変意義深いものであった(出光の上映作品のプログラミングを担当したのは、ビデオ作家の服部かつゆきである)。


1:『Woman’s House』(1972, 16mm, 13min40sec)
カリフォルニア芸術大学のフェミニスト・アートプログラムのなかで、アーティストであるジュディ・シカゴとミリアム・シャピロは、ロサンゼルスにあった家屋を利用し、1972年の1月から2月にかけて「ウーマンハウス」を組織した。これは家屋の至る所にインスタレーションやオブジェを設置するもので、フェミニズムを主題としたパフォーマンスも行われた(公式ウェブサイトでは、詳細なドキュメンテーションが公開されている)。
本作はこの「ウーマンハウス」を無人の空間として撮影した最初の16mmフィルム作品であり、その静謐な表現は、サンタモニカや雪ヶ谷を撮影した作品に共通するものがある。
カラー。サウンドは、スチールパンとパーカッションによる楽曲で、一部で声を加工したテープコラージュも用いられる。

作中のシークエンスは、以下の順番で進行する。
・絡まった紐のオブジェ
・乳房のオブジェが敷き詰められた壁
・電球の下に並んだ料理のオブジェ
・赤い内装の部屋
・ゴミ箱に溢れるナプキンのオブジェ
・花嫁姿のマネキンのオブジェ
・ドールハウス
・棚に組み込まれたマネキンのオブジェ
・女性用の衣服
・粘土で作られた料理のオブジェが並ぶ食卓
・目玉焼きのオブジェが敷き詰められた天井
・ハイヒールの収められた靴棚

2:『おんなのさくひん』(1973, Video, 11min)
洋式便器に捨てられたタンポンから、ゆっくりと血が滲んでいる。カメラはその様子を、フィックスショットの長回しで撮影する。そこに産婦人科医師役の男性による、男子優位の家父長的な価値観に染まった内容の語りが、二か国語のボイスオーバーで重ねられる。
日本のビデオアートにおける最初期の作品であり、世界的に見ても、女性ビデオ作家であるキャロル・ルッソプロスなど並んで、早い段階で社会的な女性差別の問題を批判したビデオ作品だといえる。
モノクロ。

3:『Inner Man』(1972, 16mm, 3min40sec)
心理学でいうところの、女性の集合的無意識下にある男性像(アニムス)を表現した16mmフィルム作品であり、着物姿の東洋人女性の舞踊の映像に、女性の無意識的な男性像を表象する、ダンスを踊る裸の白人男性の映像が多重露光される。
本作でのフィルムの多重露光によるイメージの重層化は、『主婦の一日』以降のビデオ作品で展開されることになる画面内にモニターを配置するメタ的な手法の前段階に位置付けることができるだろう。
カラー。サウンドはピアノによる楽曲。

4:『主婦の一日』(1977, Video, 9min50sec)
画面内にモニターを配置するという、この作家独自の手法が用いられたビデオ作品である。作家本人が、起床・化粧・炊事・洗濯・買い物・就寝など主婦の生活を、定点観測的なビデオカメラの前で演じる。さらに、各シーンの背景セットのなかにはテレビモニターが置かれ、女性を抑圧するものの表象として眼のイメージが映し出される。この画面内モニターの手法とはコンセプチュアルな意図によるものであるといえ、その後の出光のビデオ作品でも追及されてゆく。
記号化された生活パターンを総覧的にみせる構成は、マーサ・ロスラーのビデオ作品『キッチンの記号論』(1975)を連想させる。
カラー。サウンドは同録による環境音のみ。

5:『Something within Me』(1975, 16mm, 9min30sec)
身近な風景やカタツムリなどを被写体とした16mmフィルム作品であり、本作での情感豊かな表現は特筆すべきものがある。このような映像表現は、出光のビデオ作品におけるジェンダーの問題と一見繋がらないように見えるかもしれないが、そうではなく、フィルム作品における作家の身近な風景への視線を社会化したものが、ジェンダーの問題を取り上げたビデオ作品であったとみるべきだろう。
カラー。サウンドは高橋アキによるピアノの即興演奏であり、映像をスコアとして解釈することによって演奏したもの。

作中に表れるイメージは以下の通り。
・水面の反射光
・木の葉と、カーテンに映る木の葉の影
・植物の葉や花弁のクローズアップ
・オブジェのような大量のカタツムリ

6:『英雄チャン、ママよ』(1983, Video, 27min)
ホームドラマ的演出と画面内モニターの手法を組み合わせたビデオ作品。食卓の上に置かれたテレビモニターに映し出される実家暮らしだった頃の、昔の息子の映像。それとの架空の会話を繰り返す母親が、息子の面倒を見るために遂には自分も家を出るまでのストーリーを描いている。
画面内モニターに映し出される息子の姿は、保守的な家族像の虚構性を浮かび上がらせる異物として存在し、モニター内の息子の一挙手一投足に反応する母親の姿と、それに対する父親の無関心は、この状況の空虚さを一層際立たせる。出光の後年の作品におけるホームドラマ的演出とは、テレビなどの大衆メディアで流通している保守的な家族像への疑義を含むものだといえよう。
撮影は、ビデオひろばの発足に関わったカナダ出身のビデオ作家であるマイケル・ゴールドバーグが担当している。
カラー。サウンドは同録によるセリフと環境音のみ。

7:『At Santa Monica 3』(1975, 16mm, 15min30sec)
身近な街の風景を、作家の個人的な視点によって撮影した16mmフィルム作品であり、カリフォルニアの眩しい陽光と、それに照らされた建物や自然物の様子が、ハイコントラストフィルムを使用することで見事に表現されている。ちなみに、今回の映像祭の展示セクションでは、同じくハイコントラストフィルムで東京の雪ヶ谷の庭園を撮影した、『At Yukigaya Two』(1974)も上映されていたのだが、サンタモニカと雪ヶ谷という場所性の違いが表れていて興味深い。前者は眩しく乾燥しており、後者は薄暗いが瑞々しい。
モノクロ。サウンドは、恐らくジョン・ケージによる「String Quartet」(1950)であると思われる。同作品は、以下のレコードに収録されている。
Walter Piston / John Cage – Modern American Music Series

作中のシークエンスは、大まかに以下の順番で進行する。
・サンタモニカの住宅の窓に反射する太陽
・板張りの床に反射する太陽
・木漏れ日
・水面に揺らめく反射光
・風に揺れる木々
・猫
・微速度撮影された雲の流れ
・遠距離からズームショットで捉えられた住宅街
・雨の降りしきる水面と、そこに浮かぶゴミ類
・水面のランダムな反射光(極端にハイキーな撮影によって、半ば抽象化している)
・猫
・植物と、葉の間にちらつく太陽光
・甘いフォーカスで撮影された水面のランダムな反射
・微速度撮影された雲の流れと太陽(レンズの絞りを操作して、徐々に真っ白な画面になるまで飛ばす)
・住宅街の道路
・水面に揺らめく反射光
・針葉樹
・噴水から吹き出す水
・木漏れ日
・微速度撮影された雲の流れと太陽

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