第10回恵比寿映像祭「岡部道男特集 アンダーグラウンドとキャンプ」+「岡部道男特集 クレイジーラブ」@東京都写真美術館

1960年代末のアンダーグラウンド映画、すなわち実験映画・個人映画の運動を現在から振り返るならば、そこにはいくつかの運動拠点があった。大きく分けて、それは「1:『季刊フィルム』=草月アートセンター」「2:『映画評論』=フィルムメーカーズコーポ+日本アンダーグラウンドセンター」「3:『(第二次)映画批評』=鈴木清順問題共闘会議~批評戦線」の三つである。岡部道男は、金坂健二・おおえまさのりなどと共に、フィルムメーカーズコーポを拠点として活動していた個人映画作家(彼には、この呼び名が最も相応しい)であり、スーザン・ソンタグの「キャンプ」の思想を実体化したような作品を制作した。キャンプ的な表現とは同性愛的なモチーフを取ることもあるが、それだけに限らない。キャンプとはシリアスな態度から逸脱し、文化的に低級な存在として扱われてきた誇張された物や、わざとらしい紛い物を、それ自体として楽しむ態度であるが、それは文化的な階級付けにおいて貶められた物に依拠して世界を読み直すことでもあっただろう。恵比寿映像祭に先立つ「エクスパンデッド・シネマ再考」のシンポジウムにおいてブランデン・ジョセフは、1967年の『Index』出版の前後に主題を変化させて、LGBTや麻薬中毒者などの少数者を取り上げるに至ったアンディ・ウォーホルの仕事の重要性を指摘していたが、ここで取り上げる岡部の仕事もそれに相当する。
岡部のフィルモグラフイーは、『天地創造説』(1967)、『クレイジーラブ』(1968)、『貴夜夢富』(1970)、『歳時記』(1973)、『少年嗜好』(1973)、『回想録』(1980)の六作品であり、数は多くないが、いずれも同時代的な空気を映画に取り込み表現した、重要な作品ばかりである。


岡部道男『天地創造説』(1967, 16mm, 26min)
ケネス・アンガーの『スコルピオ・ライジング』(1963)に衝撃を受けた岡部が、一気にシナリオを書き上げて制作した最初の映画である。当時の岡部の言説には、映画の個人所有化・プライベート化を突き詰める考えが言明されている。岡部は最初から、商業映画の代用品ではない個人映画への自覚を持っていたというべきだろう。聖書のエピソードを下敷きにしながら、当時の風俗や大衆文化の断片、猥雑なイメージをごった煮のように取り込んでアンダーグラウンドな映画としてまとめ上げた怪作である。
この時期の草月アートセンターは、草月実験映画祭(1967年11月)にて作品の一般公募を行い、それまでの観客層が個人映画の作家に転じる流れを作ろうとしていた。本作はその流れを象徴する作品でもあり、草月実験映画祭で奨励賞を獲得した。
モノクロ。サウンドは非同録で、事後的にロックや歌謡曲などのサウンドトラックが追加されている。

作中のシークエンスは四章に分けられており、以下の順番で進行する。
1:創造前夜
・河原にて、アメリカ国旗に包まれた棺桶からよみがえる丹下左膳。十字架を背負うキリスト。疾走するバイクから男が降りて、富士山を睨み付ける
・女の後ろ姿。手相占い。シャドーボクシングを行う男
・袋を抱えた男が、路上に袋を放置する。中から男が出てくる
・袋を抱えた男が、映画館に袋を放置する。また中から男が出てきて、スクリーンの前に立つ。そして消える

2:アダムはその時ひとりだった栄光
・公園をさまよう男。公衆便所の卑猥な落書きを、マッチで火を灯して見る。自らも落書きをする
・部屋で上半身裸になる男
・男が街頭で何かを配る
・男が滝で瞑想する

3:その時君は
・海岸を歩く男が女と出逢う
・白画面に、女の喘ぎ声がボイスオーバーで重なる
・浴衣姿の男と女。一緒に入浴する
・子ども(人形)が生まれる
・アダムとイブの絵。男が楽園を追われる

4:カインは生き返った
・空手家の男。ギターを弾く男。鞭を振るう男。お面売りの男
・バイクに跨る男。『スコルピオ・ライジング』のパロディ
・公衆便所の落書きに欲情する男が、何者かに拳銃で撃たれる
・男が瀕死の状態で街をさまよう
・銀座の街頭に置かれた岡部道男本人を模した銅像に、「君が好きなんだ、いいだろう?」という声がボイスオーバーで重ねられる。歌謡曲が流れ出す


岡部道男『クレイジーラブ』(1968, 16mm, 93min)
同時代の映像作家や評論家を俳優として出演させ、壮大な紛い物としてのキャンプ的世界を構築した大長編。キャストを列記すると次の通り。

ミシエル:岡部道男
パトリシア:青山マミ
さおだけやさん:末永蒼生
その妻:兵頭桂子
おかまのたむちゃん:牟田博邦
「男性・女性」:宮井陸郎
東京ガスの人:ガリバー
ワンツウスリー:川尾俊昭
仲よしのプロレスラー:ナシ、リョウ
イザベル:ヒゲダルマ
壷坂霊験記:アリババ、ケン
やられる男:森真一
モスクワ芸術座の人たち:オーム・マキタ、ヒロミ、オオサト、フジケン、ゴミブチ、ミミ、オカベ、サイト
座長:刀根康尚
カメラマン:渡辺睦
ジュリイ:斉藤みみ
やきいも屋のおじさん:佐藤重臣
クライド:岡部道男
ポニー:五味淵純
レズビアン:児玉節子、新谷さちこ、やしや、渡辺眸
フーテン:マリオ、リョウ、ナシ、ヒゲダルマ、ヒラギ、アリババ、トムソーヤ、ジョージ、ケン
夕日のガンマン:金坂健二
ジャンゴ:岡部道男
おまわりさん:斉藤司郎
サンパの男:白鹿勝
その男オカベ:岡部道男
ゼロの男:加藤好弘、永田智、上條順次郎、松葉正男、加藤弥平治、岩田信一、小岩高義
金嬉老の近さん:斉藤司郎
マルセリーノ:布施和彦
エリオット・ネス:岡部道男
ホブスン:鎌田勝彦
警官:岡部公甫
ジャニー、ギター、出田繁幸、精松隆幸、高森マキ、石橋初子
特別出演:石井満隆、チダ、ウイ、小山哲男、麿赤児、アオメ、吉田鷹男

これは内輪のノリとは異なる、極めてキャンプなキャスティングである。岡部がこのような映画を構想した背景を考えるために、本作の制作時の岡部の言説を参照してみたい。

「そうでないものがフーテンやホモの役を演じるのではなく、そのままホモはホモとして出てくる。そうでないものはみなあこがれをむき出しにするということであまりに軽薄であり、またそれは多面の輝きが内部意識という人間固有の観念よりも優位を示している現象である。そして、そのようにしてつくられた映画はその時だけのものとして終焉するのをいとうことはない」 (『映画評論』1968年8月号)

ここで述べられていることは、ある種のリアリズムである。そこで紛い物は紛い物としての表面の輝きを発揮する(例えば、レストランの店頭にあるプラスチックの食品模型は、食品模型であることのツルツルした輝きを誇るだろう)。岡部はこの映画において、表層的な物こそが意味や観念に先行することを示している。それはこの時代に始まり、現在に至るまで続くポストモダン化した私たちの社会の本質でもある。
パートカラー。サウンドは非同録で、事後的にロックや歌謡曲などのサウンドトラックが追加されている。

『映画評論』1968年10月号にはシナリオが掲載されているが、完成版とは一部のシークエンスが異なるようである。以下のシークエンスのメモは完成版に基づくもので、カラーで撮影されたシーンには*Cの表記を置いた。

・ゼロ次元による行進パフォーマンス *C
・女装の男と若者たち、地下通路を転がる
・女装の男と男たち *C
・時代劇の舞台で、役の扮装をした男と女がいちゃつく *C
・レスリングの試合をする男たち。やがて互いを愛撫し合う
・ゼロ次元が裸でお茶を点てる
・女装する男の正面像
・裸の若者ら、ギターを持って輪になる
・テーブルについて話す若者たち(微速度で撮影)
・女装の男、交番で警官に話しかける(アフレコで架空の会話を当てる)
・ヘルメットの活動家が、警官にThe Beatlesの「 Yesterday」の歌を捧げ、手を繋いで街に繰り出す
・ダンサー姿の女装の男が野外で踊る
・ガス会社の男の来訪
・スタッフクレジット。主題歌はPaul Ankaの「Crazy Love」 *C
・金嬉老の金さんと、本物の金嬉老の写真
・ダンサー姿の女装の男が野外で踊る
・浴衣の男女
・木に登る裸の男
・ランニングするボクサー
・女装の男が公園を歩く
・背広姿のガンマンが、ゴダールの『勝手にしやがれ』のパロディを繰り広げる
・ガンマンが街で、人々を撃ち殺す
・奇妙な公園(愛知県にある五色園)にてゼロ次元のパフォーマンス
・公園にある女性の銅像に抱きつく裸の男
・夕陽のガンマンの決闘。睨み合いが続き、やがて抱き合い接吻する
・女が学生に化粧をほどこし、路上でくつろぐ
・ゼロ次元パフォーマンス
・やきいもの屋台を引く男
・ダンサー姿の女装の男が路上で踊る
・ダンサー姿の女装の男が部屋で踊り、老婆を抱きかかえる
・金魚鉢を持って練り歩く半裸のサングラス男 *C
・ガンマンが男を追いかけ、銃撃する。倒れこみ苦しむ男 *C
・マンションにて警官の踏み込み捜査。偽札を押収する
・ゼロ次元パフォーマンス


岡部道男『貴夜夢富』(1970, 16mm, 44min)
タイトルの通りキャンプ的な表現を徹底的に突き詰めた、岡部の代表作といえる作品。世間一般に承認されている美醜の感覚から遠く離れて、別の尺度で測られた審美的な世界を体現する映画であり、ジャック・スミスに通じる規範的価値を転倒させたような過剰なイメージと、ウィーン・アクショニズムに通じる自壊的な身体的行為が、息つく暇もない程の濃密さで詰め込まれている。
サウンドは非同録で、事後的にサウンドトラックが追加されている。完全なフルカラーのシーンもあるが、多くのシーンにおいて、モノクロのフィルムに単色のカラーフィルターを重ねることで色彩が表現されている。

作中のシークエンスは、以下の順番で進行する。フルカラーで撮影されたシーンには*C、赤フィルターのシーンには*R、青フィルターのシーンには*Bの表記を置いた。

・和室にて、二人のマッサージ師から施術を受ける浴衣姿の男。カエルの鳴き声が重なる *R
・和室の片隅にある、忌中と書かれたゴザの影から男が現れて、浴衣姿の男をマッサージする *B
・訪ね犬の貼り紙。和室に犬が現れ、男たちは犬の真似をする。畳を裏返す *R
・裸の男にスライドを投影する *R
・男同士で責め合い、臀部に焼きごてを押す *B
・和室に吊るされた紗幕の中で、裸の男たちがたむろする *B
・牛若丸の絵本に、弁士の語りが重なる *C
・風呂をたく三助。石井満隆が扮するドラッグクイーンが入ってきて、三助にマッサージしてもらい、二人で湯船につかる。三助がドラッグクイーンの頭を剃って坊主にする。ドラッグクイーンが踊る *C
・和室にて男たちが様々な狂騒を繰り広げる。スズムシの鳴き声が重なる *R
・ヴァイオリンを弾く男に、別の男が抱きつく *C
・テレビモニターに映し出される吸血鬼ドラキュラのドラマ。牙を付けたドラキュラに扮する警備員が登場し、一句詠んでから、オルガンを弾く男に噛みつく。和室にドラキュラ警備員が屋台を引いてきて、客に酒を出す *C *R *B
・和室にて、ドロドロになった二人の裸の男が絡み合う。弁士の語りが重なる *B
・白画面に、花の種子袋のイメージが一瞬だけカットインされる *C
・春画が映し出されたのち、和室にて、ドラッグクイーンと三人の男たちが並んで踊る *R
・ドラッグクイーンが、小舟の張りぼてに乗って和室から去ってゆく *C
・力を込めた男の臀部のアップ *R

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