ストリーミング配信[再:生成 相原信洋 Re:GENERATION Nobuhiro Aihara 1980-2008]

再:生成 相原信洋 Re:GENERATION Nobuhiro Aihara 1980-2008 プログラム①+②パック from UPLINK Cloud on Vimeo.

UPLINK渋谷が運営する「UPLINK Cloud」は、Vimeoをプラットフォームとした映画のストリーミング配信を行うサービスなのですが、昨年より、1980年〜2008年までの期間に制作された相原信洋のフィルム作品をストリーミング配信しています。相原作品のドローイングは人間離れした緻密さで知られますが、配信のクオリティは高精細なHD画質なので、細かい部分まで余すところなく鑑賞することが出来ます。
これに加えてUPLINK渋谷のマーケットでは、神戸のC.A.P.が2011年にリリースしたDVD作品集「AIHARA NOBUHIRO 2009-2010」も販売していますので、ご関心ある方はUPLINK渋谷までお問い合わせください。もちろん、NPO法人戦後映像芸術アーカイブでも上映会・美術館向けに上映素材を提供中です。よろしくお願いします。

・再:生成 相原信洋 Re:GENERATION Nobuhiro Aihara 1980-2008 プログラム①+②パック(1時間30分 / 1200円 / 1週間)
1. 水輪 カルマ2|04:17
2. リンゴと少女|07:13
3. S=13|04:58
4. 逢魔が時|03:59
5. 映像(かげ)|08:02
6. とんぼ|06:55
7. GAVORA|04:33
8. LINE|04:45
9. 鴉|04:22
10. SPIN|04:20
11. 気動|04:05
12. 耳鳴り|05:15
13. RAIN―MEMORY OF CLOUD. 1|04:10
14. YELLOW FISH|03:49
15. THE THIRD EYE|04:32
16. WIND|05:21
17. MEMORY OF RED|03:10
18. LOTUS|03:22
19. ZAP CAT|02:39

各プログラムを単独で視聴する場合はこちらからどうぞ。
・再:生成 相原信洋 Re:GENERATION Nobuhiro Aihara 1980-2008 プログラム① Animated Psychedelia Ⅰ[1980-1991](44分 / 700円 / 72時間)
・再:生成 相原信洋 Re:GENERATION Nobuhiro Aihara 1980-2008 プログラム② Animated Psychedelia Ⅱ[1992-2008](45分 / 700円 / 72時間)

「風景/映画再考Vol.5 相原信洋──風景論としてのアニメーション」トーク採録

昨年11月に、鳥取大学で開催された、「風景/映画再考Vol.5 相原信洋──風景論としてのアニメーション」におけるトークの採録がネットで公開されました。特に第二部「風景論としてのアニメーション」では、外の世界を探索してゆく手段としてのアニメーションという、相原作品の新しい側面に光を当てることができたと思うので、ご一読頂けると幸いです。
・阪本裕文 トーク採録「相原信洋──風景論としてのアニメーション」

この「風景/映画再考」という上映シリーズは映像作家の佐々木友輔さんの企画によるもので、1970年頃に論じられた風景論を再考し、現代においてアクチュアルに読み直す試みといえます。そういう意味で、この上映会で『風景の死滅』デジタル復元版を初上映できたことには大きな意義がありました。最後の対談部分では、佐々木さんの『TRAILer』(2016)に言及しながら、アニメーション/ドキュメンタリー/風景論を内包した視点を提起できた気がするので、ドキュメンタリーに関心がある方にも読んでいただきたいです。

「発掘された映画たち2018『叛軍』シリーズ」@東京国立近代美術館フィルムセンター


「発掘された映画たち2018『叛軍』シリーズ」
会期:2018年2月14日・3月3日
会場:東京国立近代美術館フィルムセンター
http://www.momat.go.jp/fc/exhibition/hakkutsu2018-2/

もう一年近く前のことになってしまうが、フィルムセンターの「発掘された映画たち2018」のなかで上映された岩佐寿弥の『叛軍』シリーズについてのレヴューを書き留めておこうと思う。

岩佐寿弥は、1959年に岩波映画製作所に入社したのち、同製作所の作家らと「青の会」を設立して活動し、その後フリーとなった記録映画作家である。また岩佐は、松本俊夫・野田真吉・黒木和雄を中心として1964年に発足した「映像芸術の会」にも参加しており、戦後の前衛的な記録映画運動における重要な作家の一人でもあった。そんな岩佐が『ねじ式映画 私は女優?』(1969)に続いて、1970年から72年にかけて取り組んだのが、元自衛官である小西誠の叛軍裁判と併行して製作された『叛軍』シリーズである。
同シリーズはNo.1からNo.4まであり、No.4に関しては以前より上映される機会が何度もあったのでよく知られている。しかし、他ナンバーについてはフィルムが行方不明だったため、文献などで存在が記述されるにとどまっていた。しかも、記述の際には「アジビラ映画」であると説明されることが多かったので、実際に映画を観た人間以外はそう思うしかなかった。しかし今回、No.1からNo.3までが発掘されたことで、それらが政治主張の宣伝を目的とした単純な「アジビラ映画」に留まるものではなく、挑発的な記録映画であることが明らかになった。
同シリーズのレヴューに入る前に、まず叛軍裁判の概要と、当時の岩佐の言説を確認しておきたい。

叛軍裁判とは、1969年に三等空曹であった小西が自衛隊内で反戦ビラを撒き、治安出動訓練を拒否したために自衛隊法違反で逮捕された裁判のことである。裁判は1970年に開始され、1975年に無罪判決が下された後、1981年に無罪判決が確定している。ベ平連が関わる小西反軍裁判支援委員会は、公判中の小西への支援活動を展開した。この裁判は当時の運動のなかで重視され、全国各地で宣伝を目的とする叛軍パンフが発行された。
興味深いのは、ベ平連内の叛軍闘争情報センターが発行していた叛軍パンフ『叛軍通信』の紙面に、岩佐の文章が掲載されていることだろう。これは『叛軍』シリーズが特異な表現にも関わらず、実践的な運動に関連して製作されていたことを示している。上映会場に展示されていた資料を見ながら取ったメモなので誤りがあるかもしれないが、要点は概ね次の通りである。(『叛軍通信』号数記載無し〔No.1〕、叛軍闘争情報センター、1970年5月15日発行)
・「反軍運動を映画、製作、運動に結びつける」
・「自衛隊員を私たちの戦列に加える」
・「よど号の報道がイメージを逆転させた。見る者の行為に示唆を与えた」
・「反軍は銃口の逆転」
・「作家の映画の否定、与える与えられるの逆転」
・「作品や監督から映画を解放する」
・「女優から自衛隊へ」
・「反軍の映画が違う局面を持つのは、現実の政治思想と映画行為という一大フィクションが渦巻いているから」

また岩佐は同時期に発行された雑誌『話の特集』のエッセイのなかでも、次のように述べている。(岩佐寿弥「反叛反」、『話の特集』1970年5月号、pp.112-113)
・「叛軍、人民武装を映画化するのではない。叛軍、人民武装の思想を映画で主張するのでもない。叛軍、人民武装の思想がぼくの映画の表現行為になるかどうか、ここまでいきつくかどうかの行脚の作業なのである」
・「「現実」は、大方の予感や想像力を超えて先行し突出するものだ」
・「この現実に、ぼくの映画以前の全思考と、「叛軍」で映画する過程の思考とが向き合う」

これらの岩佐の文章からは、作品や監督の記名性によって生じてきた「見る・見られる」「与える・与えられる」という一方通行な意味の交通から映画を解放し、映画を製作するという行為それ自体を政治的なプロセスに投げ込むことで、ある瞬間に「現実の政治思想」が一気にフィクションに反転してしまうような、特異な状況を作り出そうとする考えが窺える。この虚実の反転により、映画を観る者たちの既存の現実認識には大きな亀裂が走り、不安定な状態で現実のなかに放り出されることになる。このように対象の意味性を固定化することを良しとせず、むしろ積極的に意味を流動化させようとする態度は、松本俊夫の前衛記録映画論と通底するものであると言う他ない。これは、同時期の小川紳介や土本典昭が、撮影対象に内在するというアプローチによって記録映画の可能性を拓きながらも、不可避的に出来事の事実性に引き寄せられていったのとは対称的である。
次にシリーズの各作品について個別にレヴューしてゆきたい。


叛軍No.1(22min, 16mm, 1970)
「叛軍」製作集団、監督:岩佐寿弥、出演:小西誠

『叛軍』シリーズの第一作であり、公判にともなって新潟地方裁判所周辺で行われた学生活動家の運動の様子が記録されている。上映の際の研究員の方の解説によると、別の監督の作品のために撮影された素材が使用されているらしく、シリーズの中では最も「アジビラ映画」的な作品になっている。モノクロ。サウンドは非同録で、録音された音声素材を編集段階で大まかに合わせている。
作品の構成は次の通り。

・闇夜に紛れてビラを街頭に貼る学生活動家たち
・学生活動家の決起集会の様子。叛軍裁判の訴状を読み上げる声が重ねられる
・裁判所にて傍聴券を求める学生活動家たち。そして裁判所周辺で繰り広げられるデモと、デモを監視する機動隊の車輌(機動隊員は、市販化されたばかりのポータパックでデモの様子を撮影する)
・新潟自衛官募集の看板を撮影したショット
・閉廷後、街頭で通行人に署名を募る小西の姿を捉えて映画は終わる


叛軍No.2(28min, 16mm, 1970)
「叛軍」製作集団、監督:岩佐寿弥、出演:演劇集団「兆」

『叛軍』シリーズの第二作。公判中の新潟地方裁判所を舞台として、ブレヒトの教育劇である「例外と原則」が、演劇集団「兆」によって上演される(No.4に出演する和田周もこの劇団の一員)。同シリーズ中で最も批評的な作品であり、裁判の理不尽さを明らかにする「教育映画」である。モノクロ。サウンドは完全な同録。
映画はA・B・Cの三つのシーンによって区切られており、各シーンは全てワンショットの長回しによって切れ目なく撮影されている。作品の構成は次の通り。

導入部
・冒頭で「裁判についての教育映画」と書かれた字幕が映し出される

シーンA
・仮面をつけた数名の劇団員が、裁判所の外周を歩きながら「例外と原則」を上演する。手持ちの16mmカメラも彼らの歩調に合わせて歩き続ける。撮影は朝方だと思われ、ほとんど人通りがない

シーンB
・「同日、傍観者である映画が法廷に入ろうとして(後略)」と書かれた字幕が映し出される(まるで「映画」が人格を持っているかのように書かれていることに注意)
・裁判所の敷地内で、傍聴のために入廷しようとする学生活動家たちと職員の押し問答が続けられる
・カメラがパンすると、その横で劇団員が「例外と原則」を朗読している

シーンC
・学生活動家たちは法廷控室にまで進むが、やはり職員と押し問答になる
・カメラがパンすると、やはりその横で劇団員が「例外と原則」を朗読している

終幕部
・劇団員全員の正面像のフィックスショットが映し出される(ちなみに、このショットをネガポジ反転したイメージは、作中で繰り返しカットインされる)

さて、作中で上演されるブレヒトの「例外と原則」は、次のようなストーリーである。
案内人の苦力を酷使しながら石油利権のために旅をしていた商人が、砂漠の中で水が尽きるという事態に陥いる。疑心暗鬼になった商人は、水筒に入った水を分け与えようとして商人に近づいた苦力を、石を持って自分を殴り殺しにきたのだと思い込み、殺害する。後日、殺害された苦力の妻に訴えられて、商人は裁判にかけられる。しかし判決は、階級社会の「原則」からいって、苦力が自分に殺意を持っていると考えた商人の判断はやむを得なかったとして、苦力の善意という「例外」を退ける。そして商人は無罪を言い渡される。
実際に公判が進行している裁判所を舞台として、このような内容を持つ教育劇を上演することは、裁判が行われている状況を客観化し、丸ごと異化するものとして機能する。本作の撮影直前のタイミングで執筆されたと思われる雑誌『話の特集』のエッセイのなかで、岩佐が次のように述べていることも指摘しておきたい。(岩佐寿弥「小西反軍裁判傍聴雑感」、『話の特集』1970年12月号、pp.48-49)
「「裁判とは何か。」私はいま一撃のもとにこれを表現してみせる映画のことを考えている。それはイチかバチかの方法なのだが、その方法の詳細については、いまここで述べるわけにはいかない」

また上映会場に展示されていた資料によると、1971年2月8日には豊島公会堂で「叛軍への模索」と題されたイベントが開催されており、『叛軍No.1』『叛軍No.2』の上映に併せて、そこでも「例外と原則」の上演(にわか芝居)が行われたようだ。出演者として小西・最首悟・芥正彦の名前があり、芝居と討論が入り混じった催しだったと想像される。


叛軍No. 3(9min, 16mm, 1971)
「叛軍」製作集団、監督:岩佐寿弥、出演:小西誠

『叛軍』シリーズの第三作。反帝高評連合の集会における、現役自衛隊員による反軍活動についての演説の模様が記録されている。本作だけ取り出せば「アジビラ映画」と見なすこともできるが、No.3とNo.4の前半は対をなしており、併せて観る必要があるだろう。モノクロ。サウンドは非同録で、録音された音声素材を編集段階で大まかに合わせている。
作品の構成は次の通り。

・小西の紹介によって、休暇を取って九州の基地から上京した現役自衛官が、タクシーで会場に到着する。その表情は、上映プリントに直接マジックで目線を入れることによって隠されている
・小西の演説が最初に行われ、その後、サングラスに制服姿という出で立ちで現役自衛隊員が演説を行う
・終幕部では、基地の風景を撮影したショットに重ねて、反軍ビラが読み上げられる


叛軍No.4(96min, 16mm, 1972)
「叛軍」製作集団、監督:岩佐寿彌、撮影:堀田泰寛、録音:岡本光司、出演:和田周・最首悟

『叛軍』シリーズの第四作であり、「現実の政治思想」がある瞬間にフィクションに反転してしまうという、極めて特異な作品。岩佐のインタビュー「【ドキュメンタリストの眼⑤】 岩佐寿弥インタビュー(後編) text 金子遊」では、本作の制作経緯がかなり詳細に明かされているので一読を願いたい。それによると本作は、岩佐が映画の世界に入る前に出会った人物(S氏)から聞いたという、太平洋戦争中の反軍行動のエピソードが元になっているという。そして、岩佐は何年も前に聞いたこのエピソードを「もしかしたら妄想かもしれない」と考えて、これを『叛軍』シリーズに接続することを思いついたらしい。モノクロ。サウンドは一部を除き同録。
作品の構成は次の通り。

前半部
・皇居前広場での天皇の一般参賀を後景にカメラに向き合い、反軍活動について語る元二等兵「山田」(先述の岩佐のインタビューによると、ここでの音声はS氏の肉声とのこと)
・東大駒場キャンパスの講義室にて架空の講演会が行われ、戦時中の反軍行動についての山田二等兵の演説が一時間にわたって続く(No.3の演説の形式を模倣して、和田が山田二等兵を演じる)
・そこで語られる物語は、(戦地へ送り込まれたくなくて)狂人の真似をして天皇制を批判するが、それが反軍行為として認められずに終わるという内容のもので、岩佐が聞いたエピソードをもとに脚色が加えられている
・山田二等兵が壇上から降り、最首がコメントする。ただし山田二等兵が壇上から降りる瞬間のショットは不自然に編集されており、そこだけ違う人物の声による反軍演説にすり替えられている(先述の岩佐のインタビューによると、この部分の音声もS氏の肉声とのこと)
・街を走る車の前方を、助手席から撮影した長回しショット

後半部
・山田二等兵を演じ切った和田と最首が、酒を飲みながら居酒屋の一室で議論を行う。最初から泥酔状態の最首は、俳優であることの意味について和田にしつこく質問し、その問いが和田にとっての「反軍とは何か」という問題に繋がるのだと詰め寄る
・和田は答えに詰まりながら、「俳優になりたかった訳ではなく、いま俳優なのも周囲の誤解に基づいているに過ぎない」「そういう行動でしか反軍について語れない」という旨の返答に至る
・最後に、和田の正面像のフィックスショットに重ねて以下のセリフが3回繰り返されて映画は終わる(先述の岩佐のインタビューによると、この部分の音声はS氏にセリフを読んでもらったとのこと)
「男Aに扮することをやめる。男Bに扮することをやめる。何者にも扮することをやめる。それで私があとに残ったわけではない。それでも扮するそれを私と呼ぶことはできない。扮し続ける私は私ですらない。私自身に扮している。私自身の後ろで私は何者でもない。ただ扮している私がいる」

「1968年 激動の時代の芸術」@千葉市美術館


「1968年 激動の時代の芸術」
会場:千葉市美術館
会期:2018年9月19日~11月11日
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2018/0919/0919.html
※北九州市立美術館分館(2018年12月1日~2019年1月27日)、静岡県立美術館(2019年2月10日~3月24日)に巡回

昨年観た展覧会で最も印象深かったものといえば、間違いなく千葉市美術館で開催された「1968年 激動の時代の芸術」となる。本展には若干関わったこともあり、そういった思い入れも込みになってしまうが、以下この展覧会の意義を書き留めておきたい。

本展はタイトルの通り、社会全体が激動の渦中にあった1968年に焦点を合わせて、この時代の広範な芸術を回顧するものである。いままでにも、1950年代に焦点を合わせた「「美術にぶるっ! ベストセレクション日本近代美術の100年 第2部 実験場1950s」(東京国立近代美術館|2012)や「日本の70年代 1968-1982」(埼玉県立近代美術館|2012)など、戦後美術を詳細に再検証する回顧展は行われてきたが、1968年から50年ということもあり、いよいよこの時期が主題化されたということだろう。本展は現代美術を中心とするものではあるが、文化全体が混ざり合いながら強い政治性を持っていた時代ゆえに、取り上げられる対象は、演劇・舞踏・映画・建築・グラフィックデザイン・漫画など多岐にわたっていた。本展の構成は以下の通り。

A1:1968年の社会と文化
A2:美術界の1968
B1:1968年の現代美術
B2:環境芸術とインターメディア
B3:日本万国博覧会
B4:反博の動きと万博破壊共闘派
B5:トリックス・アンド・ヴィジョン
C1:アンダーグランドの隆盛―演劇・舞踏・実験映画
C2:イラストレーションの氾濫
C3:漫画と芸術
C4:サイケデリックの季節
D1:プロヴォークの登場
D2:もの派の台頭
D3:概念芸術の萌芽

まず、Aのセクションは導入部にあたる。「A1:1968年の社会と文化」では、様々な写真家の作品や、城之内元晴の『新宿ステーション』などによって、1968年の雰囲気を観客に実感させる。そして、「A2:美術界の1968」では美共闘・日宣美粉砕・フィルムアートフェスティバル中止事件などの造反行動を、ビラなどの文書資料によって明らかにする。
Bのセクションは本展の核心部分にあたる。「B1:1968年の現代美術」では、「前衛の終焉」を象徴する出来事の一つであった赤瀬川原平の千円札裁判が取り上げられる。続く「B2:環境芸術とインターメディア」と「B3:日本万国博覧会」では、「なにかいってくれ いま さがす」(草月会館|1968)や「クロス・トーク/インターメディア」(国立代々木競技場体育館|1968)といった当時のインターメディア的なイベントから、前衛芸術の万博参加に至るまでの過程が取り上げられる(その中心となるのは、松本俊夫の『つぶれかかった右眼のために』と、せんい館における『スペース・プロジェクション・アコ』である)。その一方で、「B4:反博の動きと万博破壊共闘派」においては、前衛芸術の万博参加とパラレルに進んだパフォーマティヴな反博運動が、ゼロ次元を中心に取り上げられる。また、「B5:トリックス・アンド・ヴィジョン」では、視覚的な認識の制度を解体する作品が選定された「トリックス・アンド・ヴィジョン 盗まれた眼」(東京画廊・村松画廊|1968)が取り上げられる。
Cのセクションは、現代美術と越境し合った1968年の文化を捉えるものである。「C1:アンダーグランドの隆盛―演劇・舞踏・実験映画」では、天井桟敷と状況劇場といったアングラ演劇、『季刊フィルム』『(第二次)映画批評』『シネマ69』などの先鋭的な映画雑誌、足立正生、宮井陸郎、シュウゾウ・アヅチ・ガリバーの実験映画など、演劇・舞踏・実験映画におけるアンダーグラウンド文化が取り上げられる。そして、「C2:イラストレーションの氾濫」と「C3:漫画と芸術」では、グラフィックデザイン・イラスト・漫画といった当時の視覚文化が取り上げられる。極め付けが当時のアンダーグラウンドなディスコ「MUGEN」の再現を試みた「C4:サイケデリックの季節」であり、そこではエクスパンデッド・シネマやハプニングとも密接な関係を持っていたディスコや、風俗としてのサイケデリックカルチャーを取り上げられる。
Dのセクションは1968年以降につながる動向を捉えるものである。「D1:プロヴォークの登場」では、意味化される以前の世界に立ち会う試みであったプロヴォークの活動が取り上げられる。そして「D2:もの派の台頭」および「D3:概念芸術の萌芽」では、「もの派」と概念芸術(特に、コミューンへの指向性をもった松澤宥)が取り上げられ、「第10回日本国際美術展 人間と物質」(東京都美術館|1970)が万博に対置される。

膨大な物量の作品および資料が、1968年の混沌を冷静に読み直すべく整然と展示された印象であるが、その狙いは目的を果たしていたように思う。この展覧会は、1968年の芸術を現在と切り離して「あの時代は熱かった」と感傷的に懐かしむものではない。それは、戦後日本の前衛芸術が終わり、芸術という枠組みについての反転が生じた瞬間を1968年に見出し、これまで大雑把に一般化されてきたその歴史を再考しようとするものである。この問題意識は、本展を企画した学芸員の一人である水沼啓和のディレクションによるところが大きいと思われるが、このことは展覧会カタログに掲載された水沼のテクスト「1968 現代美術の転換点」からも読み取ることができる。以下、そのテクストの第4節を簡単に要約してみたい。

水沼はテクストの中で、千円札裁判の有罪判決と、前衛芸術家の万博への動員という二つの出来事によって前衛が終焉したとする一般化された見方に対して、次のように反論する。まず千円札裁判については、裁判によって犯罪と結論付けられたことによって「終焉」があったのではなく、結局のところ「芸術であるから無罪」という弁護方針によって、前衛が自らの「匿名性」や「得体の知れなさ」を捨てるものだったところに問題をみる。それは石子順造が指摘した通り「安全に国家体制内に温存された芸術の近代」に自ら収まるものだったといえ、前衛芸術が政治性を失うことに等しかった。前衛の万博参加と反博運動については、国策イベントとしての万博に前衛芸術が参加したことだけでなく、反博運動も当時の左翼的な政治言説の範疇にとどまり、有効な戦略を取ることができなかったため、結局のところ万博と反博が同じ祭りの中に飲み込まれてしまったことを指摘する。これは芸術の問題として万博(これを「近代」と言い換えることも可能だろう)を捉えることができなかったことを意味している。そして、万博参加と反博運動の対立の一方で、政治とは離れた場所で、観念的に現代美術を追求する「もの派」などの動向が出現することで、「前衛の終焉」は決定的なものになったという訳である。

本展のなかでこの論理が説得力を持って成立していたのは、「A2」と「B4」で美共闘・日宣美粉砕・フィルムアートフェスティバル中止事件、そして万博破壊共闘派が、1968年の芸術における造反行動として展示されていたためである。これまで椹木野衣や黒ダライ児によって言及される機会のあった万博破壊共闘派やゼロ次元はまだしも、美共闘・日宣美粉砕・フィルムアートフェスティバル中止事件を、共通する社会的背景を持った造反行動として取り上げた展覧会は皆無だった。これらの展示によって、万博参加と反博運動が表裏一体のものであった*1こと、すなわち戦後日本における前衛の限界が露呈しているのである。この限界は、制度に対する造反行動が、結局のところ制度に依拠することで造反足り得ているという事実を示しており、それは言うまでもなく千円札裁判における「芸術であるから無罪」という、ある制度を前提とした主張とも通底している。

本展は1968年の芸術・文化を現代美術を中心として考察し、「前衛の終焉」*2と、戦後日本におけるねじれた近代の問題を展覧会を通して明らかにした、極めて重要な展覧会であったと思う。水沼氏の最後の仕事に敬服しながら、氏のご冥福をお祈りする。

*1:ただし私は、万博における松本俊夫・横尾忠則らのせんい館については、例外的な価値を認める立場をとる(水沼のテクストの中でも、せんい館については、そこにポストモダンを先取りする戦略があったことが指摘されている)。松本は万博以降、個人の内的な変革を目指して、個人の意識を規定してしまう「言語」や「物語」の問題に取り組んでいったが、それは石子が指摘するような「場所の制度性」を問題とする立場を踏み越えている。博論の結論でも簡単に触れたが、このすれ違いについては同時期の松本と石子の論争を参照のこと。

*2:水沼は1968年における「前衛の終焉」を、テクストと展示の中で論証した訳であるが、ここに私は、映画の文脈から補助線を引いておきたい。映画における前衛のその後は、現代美術のそれよりも複雑であったといえる。足立正生は風景論を経てパレスチナに越境して日本赤軍に合流し、野田真吉・城之内元晴は民俗学的な撮影対象に向かい、小川紳介・土本典昭は局地的な社会問題の内部に向かった。映画における前衛は、現代美術とは異なり、その後も持続性を持ってある程度は展開したのである。むしろ、映画における「前衛の終焉」が決定的なものになったのは、蓮實重彦が政治性を括弧に括る表層批評を1970年代に展開したためである。