「1968年 激動の時代の芸術」@千葉市美術館


「1968年 激動の時代の芸術」
会場:千葉市美術館
会期:2018年9月19日~11月11日
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2018/0919/0919.html
※北九州市立美術館分館(2018年12月1日~2019年1月27日)、静岡県立美術館(2019年2月10日~3月24日)に巡回

昨年観た展覧会で最も印象深かったものといえば、間違いなく千葉市美術館で開催された「1968年 激動の時代の芸術」となる。本展には若干関わったこともあり、そういった思い入れも込みになってしまうが、以下この展覧会の意義を書き留めておきたい。

本展はタイトルの通り、社会全体が激動の渦中にあった1968年に焦点を合わせて、この時代の広範な芸術を回顧するものである。いままでにも、1950年代に焦点を合わせた「「美術にぶるっ! ベストセレクション日本近代美術の100年 第2部 実験場1950s」(東京国立近代美術館|2012)や「日本の70年代 1968-1982」(埼玉県立近代美術館|2012)など、戦後美術を詳細に再検証する回顧展は行われてきたが、1968年から50年ということもあり、いよいよこの時期が主題化されたということだろう。本展は現代美術を中心とするものではあるが、文化全体が混ざり合いながら強い政治性を持っていた時代ゆえに、取り上げられる対象は、演劇・舞踏・映画・建築・グラフィックデザイン・漫画など多岐にわたっていた。本展の構成は以下の通り。

A1:1968年の社会と文化
A2:美術界の1968
B1:1968年の現代美術
B2:環境芸術とインターメディア
B3:日本万国博覧会
B4:反博の動きと万博破壊共闘派
B5:トリックス・アンド・ヴィジョン
C1:アンダーグランドの隆盛―演劇・舞踏・実験映画
C2:イラストレーションの氾濫
C3:漫画と芸術
C4:サイケデリックの季節
D1:プロヴォークの登場
D2:もの派の台頭
D3:概念芸術の萌芽

まず、Aのセクションは導入部にあたる。「A1:1968年の社会と文化」では、様々な写真家の作品や、城之内元晴の『新宿ステーション』などによって、1968年の雰囲気を観客に実感させる。そして、「A2:美術界の1968」では美共闘・日宣美粉砕・フィルムアートフェスティバル中止事件などの造反行動を、ビラなどの文書資料によって明らかにする。
Bのセクションは本展の核心部分にあたる。「B1:1968年の現代美術」では、「前衛の終焉」を象徴する出来事の一つであった赤瀬川原平の千円札裁判が取り上げられる。続く「B2:環境芸術とインターメディア」と「B3:日本万国博覧会」では、「なにかいってくれ いま さがす」(草月会館|1968)や「クロス・トーク/インターメディア」(国立代々木競技場体育館|1968)といった当時のインターメディア的なイベントから、前衛芸術の万博参加に至るまでの過程が取り上げられる(その中心となるのは、松本俊夫の『つぶれかかった右眼のために』と、せんい館における『スペース・プロジェクション・アコ』である)。その一方で、「B4:反博の動きと万博破壊共闘派」においては、前衛芸術の万博参加とパラレルに進んだパフォーマティヴな反博運動が、ゼロ次元を中心に取り上げられる。また、「B5:トリックス・アンド・ヴィジョン」では、視覚的な認識の制度を解体する作品が選定された「トリックス・アンド・ヴィジョン 盗まれた眼」(東京画廊・村松画廊|1968)が取り上げられる。
Cのセクションは、現代美術と越境し合った1968年の文化を捉えるものである。「C1:アンダーグランドの隆盛―演劇・舞踏・実験映画」では、天井桟敷と状況劇場といったアングラ演劇、『季刊フィルム』『(第二次)映画批評』『シネマ69』などの先鋭的な映画雑誌、足立正生、宮井陸郎、シュウゾウ・アヅチ・ガリバーの実験映画など、演劇・舞踏・実験映画におけるアンダーグラウンド文化が取り上げられる。そして、「C2:イラストレーションの氾濫」と「C3:漫画と芸術」では、グラフィックデザイン・イラスト・漫画といった当時の視覚文化が取り上げられる。極め付けが当時のアンダーグラウンドなディスコ「MUGEN」の再現を試みた「C4:サイケデリックの季節」であり、そこではエクスパンデッド・シネマやハプニングとも密接な関係を持っていたディスコや、風俗としてのサイケデリックカルチャーを取り上げられる。
Dのセクションは1968年以降につながる動向を捉えるものである。「D1:プロヴォークの登場」では、意味化される以前の世界に立ち会う試みであったプロヴォークの活動が取り上げられる。そして「D2:もの派の台頭」および「D3:概念芸術の萌芽」では、「もの派」と概念芸術(特に、コミューンへの指向性をもった松澤宥)が取り上げられ、「第10回日本国際美術展 人間と物質」(東京都美術館|1970)が万博に対置される。

膨大な物量の作品および資料が、1968年の混沌を冷静に読み直すべく整然と展示された印象であるが、その狙いは目的を果たしていたように思う。この展覧会は、1968年の芸術を現在と切り離して「あの時代は熱かった」と感傷的に懐かしむものではない。それは、戦後日本の前衛芸術が終わり、芸術という枠組みについての反転が生じた瞬間を1968年に見出し、これまで大雑把に一般化されてきたその歴史を再考しようとするものである。この問題意識は、本展を企画した学芸員の一人である水沼啓和のディレクションによるところが大きいと思われるが、このことは展覧会カタログに掲載された水沼のテクスト「1968 現代美術の転換点」からも読み取ることができる。以下、そのテクストの第4節を簡単に要約してみたい。

水沼はテクストの中で、千円札裁判の有罪判決と、前衛芸術家の万博への動員という二つの出来事によって前衛が終焉したとする一般化された見方に対して、次のように反論する。まず千円札裁判については、裁判によって犯罪と結論付けられたことによって「終焉」があったのではなく、結局のところ「芸術であるから無罪」という弁護方針によって、前衛が自らの「匿名性」や「得体の知れなさ」を捨てるものだったところに問題をみる。それは石子順造が指摘した通り「安全に国家体制内に温存された芸術の近代」に自ら収まるものだったといえ、前衛芸術が政治性を失うことに等しかった。前衛の万博参加と反博運動については、国策イベントとしての万博に前衛芸術が参加したことだけでなく、反博運動も当時の左翼的な政治言説の範疇にとどまり、有効な戦略を取ることができなかったため、結局のところ万博と反博が同じ祭りの中に飲み込まれてしまったことを指摘する。これは芸術の問題として万博(これを「近代」と言い換えることも可能だろう)を捉えることができなかったことを意味している。そして、万博参加と反博運動の対立の一方で、政治とは離れた場所で、観念的に現代美術を追求する「もの派」などの動向が出現することで、「前衛の終焉」は決定的なものになったという訳である。

本展のなかでこの論理が説得力を持って成立していたのは、「A2」と「B4」で美共闘・日宣美粉砕・フィルムアートフェスティバル中止事件、そして万博破壊共闘派が、1968年の芸術における造反行動として展示されていたためである。これまで椹木野衣や黒ダライ児によって言及される機会のあった万博破壊共闘派やゼロ次元はまだしも、美共闘・日宣美粉砕・フィルムアートフェスティバル中止事件を、共通する社会的背景を持った造反行動として取り上げた展覧会は皆無だった。これらの展示によって、万博参加と反博運動が表裏一体のものであった*1こと、すなわち戦後日本における前衛の限界が露呈しているのである。この限界は、制度に対する造反行動が、結局のところ制度に依拠することで造反足り得ているという事実を示しており、それは言うまでもなく千円札裁判における「芸術であるから無罪」という、ある制度を前提とした主張とも通底している。

本展は1968年の芸術・文化を現代美術を中心として考察し、「前衛の終焉」*2と、戦後日本におけるねじれた近代の問題を展覧会を通して明らかにした、極めて重要な展覧会であったと思う。水沼氏の最後の仕事に敬服しながら、氏のご冥福をお祈りする。

*1:ただし私は、万博における松本俊夫・横尾忠則らのせんい館については、例外的な価値を認める立場をとる(水沼のテクストの中でも、せんい館については、そこにポストモダンを先取りする戦略があったことが指摘されている)。松本は万博以降、個人の内的な変革を目指して、個人の意識を規定してしまう「言語」や「物語」の問題に取り組んでいったが、それは石子が指摘するような「場所の制度性」を問題とする立場を踏み越えている。博論の結論でも簡単に触れたが、このすれ違いについては同時期の松本と石子の論争を参照のこと。

*2:水沼は1968年における「前衛の終焉」を、テクストと展示の中で論証した訳であるが、ここに私は、映画の文脈から補助線を引いておきたい。映画における前衛のその後は、現代美術のそれよりも複雑であったといえる。足立正生は風景論を経てパレスチナに越境して日本赤軍に合流し、野田真吉・城之内元晴は民俗学的な撮影対象に向かい、小川紳介・土本典昭は局地的な社会問題の内部に向かった。映画における前衛は、現代美術とは異なり、その後も持続性を持ってある程度は展開したのである。むしろ、映画における「前衛の終焉」が決定的なものになったのは、蓮實重彦が政治性を括弧に括る表層批評を1970年代に展開したためである。