「発掘された映画たち2018『叛軍』シリーズ」@東京国立近代美術館フィルムセンター


「発掘された映画たち2018『叛軍』シリーズ」
会期:2018年2月14日・3月3日
会場:東京国立近代美術館フィルムセンター
http://www.momat.go.jp/fc/exhibition/hakkutsu2018-2/

もう一年近く前のことになってしまうが、フィルムセンターの「発掘された映画たち2018」のなかで上映された岩佐寿弥の『叛軍』シリーズについてのレヴューを書き留めておこうと思う。

岩佐寿弥は、1959年に岩波映画製作所に入社したのち、同製作所の作家らと「青の会」を設立して活動し、その後フリーとなった記録映画作家である。また岩佐は、松本俊夫・野田真吉・黒木和雄を中心として1964年に発足した「映像芸術の会」にも参加しており、戦後の前衛的な記録映画運動における重要な作家の一人でもあった。そんな岩佐が『ねじ式映画 私は女優?』(1969)に続いて、1970年から72年にかけて取り組んだのが、元自衛官である小西誠の叛軍裁判と併行して製作された『叛軍』シリーズである。
同シリーズはNo.1からNo.4まであり、No.4に関しては以前より上映される機会が何度もあったのでよく知られている。しかし、他ナンバーについてはフィルムが行方不明だったため、文献などで存在が記述されるにとどまっていた。しかも、記述の際には「アジビラ映画」であると説明されることが多かったので、実際に映画を観た人間以外はそう思うしかなかった。しかし今回、No.1からNo.3までが発掘されたことで、それらが政治主張の宣伝を目的とした単純な「アジビラ映画」に留まるものではなく、挑発的な記録映画であることが明らかになった。
同シリーズのレヴューに入る前に、まず叛軍裁判の概要と、当時の岩佐の言説を確認しておきたい。

叛軍裁判とは、1969年に三等空曹であった小西が自衛隊内で反戦ビラを撒き、治安出動訓練を拒否したために自衛隊法違反で逮捕された裁判のことである。裁判は1970年に開始され、1975年に無罪判決が下された後、1981年に無罪判決が確定している。ベ平連が関わる小西反軍裁判支援委員会は、公判中の小西への支援活動を展開した。この裁判は当時の運動のなかで重視され、全国各地で宣伝を目的とする叛軍パンフが発行された。
興味深いのは、ベ平連内の叛軍闘争情報センターが発行していた叛軍パンフ『叛軍通信』の紙面に、岩佐の文章が掲載されていることだろう。これは『叛軍』シリーズが特異な表現にも関わらず、実践的な運動に関連して製作されていたことを示している。上映会場に展示されていた資料を見ながら取ったメモなので誤りがあるかもしれないが、要点は概ね次の通りである。(『叛軍通信』号数記載無し〔No.1〕、叛軍闘争情報センター、1970年5月15日発行)
・「反軍運動を映画、製作、運動に結びつける」
・「自衛隊員を私たちの戦列に加える」
・「よど号の報道がイメージを逆転させた。見る者の行為に示唆を与えた」
・「反軍は銃口の逆転」
・「作家の映画の否定、与える与えられるの逆転」
・「作品や監督から映画を解放する」
・「女優から自衛隊へ」
・「反軍の映画が違う局面を持つのは、現実の政治思想と映画行為という一大フィクションが渦巻いているから」

また岩佐は同時期に発行された雑誌『話の特集』のエッセイのなかでも、次のように述べている。(岩佐寿弥「反叛反」、『話の特集』1970年5月号、pp.112-113)
・「叛軍、人民武装を映画化するのではない。叛軍、人民武装の思想を映画で主張するのでもない。叛軍、人民武装の思想がぼくの映画の表現行為になるかどうか、ここまでいきつくかどうかの行脚の作業なのである」
・「「現実」は、大方の予感や想像力を超えて先行し突出するものだ」
・「この現実に、ぼくの映画以前の全思考と、「叛軍」で映画する過程の思考とが向き合う」

これらの岩佐の文章からは、作品や監督の記名性によって生じてきた「見る・見られる」「与える・与えられる」という一方通行な意味の交通から映画を解放し、映画を製作するという行為それ自体を政治的なプロセスに投げ込むことで、ある瞬間に「現実の政治思想」が一気にフィクションに反転してしまうような、特異な状況を作り出そうとする考えが窺える。この虚実の反転により、映画を観る者たちの既存の現実認識には大きな亀裂が走り、不安定な状態で現実のなかに放り出されることになる。このように対象の意味性を固定化することを良しとせず、むしろ積極的に意味を流動化させようとする態度は、松本俊夫の前衛記録映画論と通底するものであると言う他ない。これは、同時期の小川紳介や土本典昭が、撮影対象に内在するというアプローチによって記録映画の可能性を拓きながらも、不可避的に出来事の事実性に引き寄せられていったのとは対称的である。
次にシリーズの各作品について個別にレヴューしてゆきたい。


叛軍No.1(22min, 16mm, 1970)
「叛軍」製作集団、監督:岩佐寿弥、出演:小西誠

『叛軍』シリーズの第一作であり、公判にともなって新潟地方裁判所周辺で行われた学生活動家の運動の様子が記録されている。上映の際の研究員の方の解説によると、別の監督の作品のために撮影された素材が使用されているらしく、シリーズの中では最も「アジビラ映画」的な作品になっている。モノクロ。サウンドは非同録で、録音された音声素材を編集段階で大まかに合わせている。
作品の構成は次の通り。

・闇夜に紛れてビラを街頭に貼る学生活動家たち
・学生活動家の決起集会の様子。叛軍裁判の訴状を読み上げる声が重ねられる
・裁判所にて傍聴券を求める学生活動家たち。そして裁判所周辺で繰り広げられるデモと、デモを監視する機動隊の車輌(機動隊員は、市販化されたばかりのポータパックでデモの様子を撮影する)
・新潟自衛官募集の看板を撮影したショット
・閉廷後、街頭で通行人に署名を募る小西の姿を捉えて映画は終わる


叛軍No.2(28min, 16mm, 1970)
「叛軍」製作集団、監督:岩佐寿弥、出演:演劇集団「兆」

『叛軍』シリーズの第二作。公判中の新潟地方裁判所を舞台として、ブレヒトの教育劇である「例外と原則」が、演劇集団「兆」によって上演される(No.4に出演する和田周もこの劇団の一員)。同シリーズ中で最も批評的な作品であり、裁判の理不尽さを明らかにする「教育映画」である。モノクロ。サウンドは完全な同録。
映画はA・B・Cの三つのシーンによって区切られており、各シーンは全てワンショットの長回しによって切れ目なく撮影されている。作品の構成は次の通り。

導入部
・冒頭で「裁判についての教育映画」と書かれた字幕が映し出される

シーンA
・仮面をつけた数名の劇団員が、裁判所の外周を歩きながら「例外と原則」を上演する。手持ちの16mmカメラも彼らを歩調を合わせて歩き続ける。撮影は朝方だと思われ、ほとんど人通りがない

シーンB
・「同日、傍観者である映画が法廷に入ろうとして(後略)」と書かれた字幕が映し出される(まるで「映画」が人格を持っているかのように書かれていることに注意)
・裁判所の敷地内で、傍聴のために入廷しようとする学生活動家たちと職員の押し問答が続けられる
・カメラがパンすると、その横で劇団員が「例外と原則」を朗読している

シーンC
・学生活動家たちは法廷控室にまで進むが、やはり職員と押し問答になる
・カメラがパンすると、やはりその横で劇団員が「例外と原則」を朗読している

終幕部
・劇団員全員の正面像のフィックスショットが映し出される(ちなみに、このショットをネガポジ反転したイメージは、作中で繰り返しカットインされる)

さて、作中で上演されるブレヒトの「例外と原則」は、次のようなストーリーである。
案内人の苦力を酷使しながら石油利権のために旅をしていた商人が、砂漠の中で水が尽きるという事態に陥いる。疑心暗鬼になった商人は、水筒に入った水を分け与えようとして商人に近づいた苦力を、石を持って自分を殴り殺しにきたのだと思い込み、殺害する。後日、殺害された苦力の妻に訴えられて、商人は裁判にかけられる。しかし判決は、階級社会の「原則」からいって、苦力が自分に殺意を持っていると考えた商人の判断はやむを得なかったとして、苦力の善意という「例外」を退ける。そして商人は無罪を言い渡される。
実際に公判が進行している裁判所を舞台として、このような内容を持つ教育劇を上演することは、裁判が行われている状況を客観化し、丸ごと異化するものとして機能する。本作の撮影直前のタイミングで執筆されたと思われる雑誌『話の特集』のエッセイのなかで、岩佐が次のように述べていることも指摘しておきたい。(岩佐寿弥「小西反軍裁判傍聴雑感」、『話の特集』1970年12月号、pp.48-49)
「「裁判とは何か。」私はいま一撃のもとにこれを表現してみせる映画のことを考えている。それはイチかバチかの方法なのだが、その方法の詳細については、いまここで述べるわけにはいかない」

また上映会場に展示されていた資料によると、1971年2月8日には豊島公会堂で「叛軍への模索」と題されたイベントが開催されており、『叛軍No.1』『叛軍No.2』の上映に併せて、そこでも「例外と原則」の上演(にわか芝居)が行われたようだ。出演者として小西・最首悟・芥正彦の名前があり、芝居と討論が入り混じった催しだったと想像される。


叛軍No. 3(9min, 16mm, 1971)
「叛軍」製作集団、監督:岩佐寿弥、出演:小西誠

『叛軍』シリーズの第三作。反帝高評連合の集会における、現役自衛隊員による反軍活動についての演説の模様が記録されている。本作だけ取り出せば「アジビラ映画」と見なすこともできるが、No.3とNo.4の前半は対をなしており、併せて観る必要があるだろう。モノクロ。サウンドは非同録で、録音された音声素材を編集段階で大まかに合わせている。
作品の構成は次の通り。

・小西の紹介によって、休暇を取って九州の基地から上京した現役自衛官が、タクシーで会場に到着する。その表情は、上映プリントに直接マジックで目線を入れることによって隠されている
・小西の演説が最初に行われ、その後、サングラスに制服姿という出で立ちで現役自衛隊員が演説を行う
・終幕部では、基地の風景を撮影したショットに重ねて、反軍ビラが読み上げられる


叛軍No.4(96min, 16mm, 1972)
「叛軍」製作集団、監督:岩佐寿彌、撮影:堀田泰寛、録音:岡本光司、出演:和田周・最首悟

『叛軍』シリーズの第四作であり、「現実の政治思想」がある瞬間にフィクションに反転してしまうという、極めて特異な作品。岩佐のインタビュー「【ドキュメンタリストの眼⑤】 岩佐寿弥インタビュー(後編) text 金子遊」では、本作の制作経緯がかなり詳細に明かされているので一読を願いたい。それによると本作は、岩佐が映画の世界に入る前に出会った人物(S氏)から聞いたという、太平洋戦争中の反軍行動のエピソードが元になっているという。そして、岩佐は何年も前に聞いたこのエピソードを「もしかしたら妄想かもしれない」と考えて、これを『叛軍』シリーズに接続することを思いついたらしい。モノクロ。サウンドは一部を除き同録。
作品の構成は次の通り。

前半部
・皇居前広場での天皇の一般参賀を後景にカメラに向き合い、反軍活動について語る元二等兵「山田」(先述の岩佐のインタビューによると、ここでの音声はS氏の肉声とのこと)
・東大駒場キャンパスの講義室にて架空の講演会が行われ、戦時中の反軍行動についての山田二等兵の演説が一時間にわたって続く(No.3の演説の形式を模倣して、和田が山田二等兵を演じる)
・そこで語られる物語は、(戦地へ送り込まれたくなくて)狂人の真似をして天皇制を批判するが、それが反軍行為として認められずに終わるという内容のもので、岩佐が聞いたエピソードをもとに脚色が加えられている
・山田二等兵が壇上から降り、最首がコメントする。ただし山田二等兵が壇上から降りる瞬間のショットは不自然に編集されており、そこだけ違う人物の声による反軍演説にすり替えられている(先述の岩佐のインタビューによると、この部分の音声もS氏の肉声とのこと)
・街を走る車の前方を、助手席から撮影した長回しショット

後半部
・山田二等兵を演じ切った和田と最首が、酒を飲みながら居酒屋の一室で議論を行う。最初から泥酔状態の最首は、俳優であることの意味について和田にしつこく質問し、その問いが和田にとっての「反軍とは何か」という問題に繋がるのだと詰め寄る
・和田は答えに詰まりながら、「俳優になりたかった訳ではなく、いま俳優なのも周囲の誤解に基づいているに過ぎない」「そういう行動でしか反軍について語れない」という旨の返答に至る
・最後に、和田の正面像のフィックスショットに重ねて以下のセリフが3回繰り返されて映画は終わる(先述の岩佐のインタビューによると、この部分の音声はS氏にセリフを読んでもらったとのこと)
「男Aに扮することをやめる。男Bに扮することをやめる。何者にも扮することをやめる。それで私があとに残ったわけではない。それでも扮するそれを私と呼ぶことはできない。扮し続ける私は私ですらない。私自身に扮している。私自身の後ろで私は何者でもない。ただ扮している私がいる」

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「1968年 激動の時代の芸術」@千葉市美術館


「1968年 激動の時代の芸術」
会場:千葉市美術館
会期:2018年9月19日~11月11日
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2018/0919/0919.html
※北九州市立美術館分館(2018年12月1日~2019年1月27日)、静岡県立美術館(2019年2月10日~3月24日)に巡回

昨年観た展覧会で最も印象深かったものといえば、間違いなく千葉市美術館で開催された「1968年 激動の時代の芸術」となる。本展には若干関わったこともあり、そういった思い入れも込みになってしまうが、以下この展覧会の意義を書き留めておきたい。

本展はタイトルの通り、社会全体が激動の渦中にあった1968年に焦点を合わせて、この時代の広範な芸術を回顧するものである。いままでにも、1950年代に焦点を合わせた「「美術にぶるっ! ベストセレクション日本近代美術の100年 第2部 実験場1950s」(東京国立近代美術館|2012)や「日本の70年代 1968-1982」(埼玉県立近代美術館|2012)など、戦後美術を詳細に再検証する回顧展は行われてきたが、1968年から50年ということもあり、いよいよこの時期が主題化されたということだろう。本展は現代美術を中心とするものではあるが、文化全体が混ざり合いながら強い政治性を持っていた時代ゆえに、取り上げられる対象は、演劇・舞踏・映画・建築・グラフィックデザイン・漫画など多岐にわたっていた。本展の構成は以下の通り。

A1:1968年の社会と文化
A2:美術界の1968
B1:1968年の現代美術
B2:環境芸術とインターメディア
B3:日本万国博覧会
B4:反博の動きと万博破壊共闘派
B5:トリックス・アンド・ヴィジョン
C1:アンダーグランドの隆盛―演劇・舞踏・実験映画
C2:イラストレーションの氾濫
C3:漫画と芸術
C4:サイケデリックの季節
D1:プロヴォークの登場
D2:もの派の台頭
D3:概念芸術の萌芽

まず、Aのセクションは導入部にあたる。「A1:1968年の社会と文化」では、様々な写真家の作品や、城之内元晴の『新宿ステーション』などによって、1968年の雰囲気を観客に実感させる。そして、「A2:美術界の1968」では美共闘・日宣美粉砕・フィルムアートフェスティバル中止事件などの造反行動を、ビラなどの文書資料によって明らかにする。
Bのセクションは本展の核心部分にあたる。「B1:1968年の現代美術」では、「前衛の終焉」を象徴する出来事の一つであった赤瀬川原平の千円札裁判が取り上げられる。続く「B2:環境芸術とインターメディア」と「B3:日本万国博覧会」では、「なにかいってくれ いま さがす」(草月会館|1968)や「クロス・トーク/インターメディア」(国立代々木競技場体育館|1968)といった当時のインターメディア的なイベントから、前衛芸術の万博参加に至るまでの過程が取り上げられる(その中心となるのは、松本俊夫の『つぶれかかった右眼のために』と、せんい館における『スペース・プロジェクション・アコ』である)。その一方で、「B4:反博の動きと万博破壊共闘派」においては、前衛芸術の万博参加とパラレルに進んだパフォーマティヴな反博運動が、ゼロ次元を中心に取り上げられる。また、「B5:トリックス・アンド・ヴィジョン」では、視覚的な認識の制度を解体する作品が選定された「トリックス・アンド・ヴィジョン 盗まれた眼」(東京画廊・村松画廊|1968)が取り上げられる。
Cのセクションは、現代美術と越境し合った1968年の文化を捉えるものである。「C1:アンダーグランドの隆盛―演劇・舞踏・実験映画」では、天井桟敷と状況劇場といったアングラ演劇、『季刊フィルム』『(第二次)映画批評』『シネマ69』などの先鋭的な映画雑誌、足立正生、宮井陸郎、シュウゾウ・アヅチ・ガリバーの実験映画など、演劇・舞踏・実験映画におけるアンダーグラウンド文化が取り上げられる。そして、「C2:イラストレーションの氾濫」と「C3:漫画と芸術」では、グラフィックデザイン・イラスト・漫画といった当時の視覚文化が取り上げられる。極め付けが当時のアンダーグラウンドなディスコ「MUGEN」の再現を試みた「C4:サイケデリックの季節」であり、そこではエクスパンデッド・シネマやハプニングとも密接な関係を持っていたディスコや、風俗としてのサイケデリックカルチャーを取り上げられる。
Dのセクションは1968年以降につながる動向を捉えるものである。「D1:プロヴォークの登場」では、意味化される以前の世界に立ち会う試みであったプロヴォークの活動が取り上げられる。そして「D2:もの派の台頭」および「D3:概念芸術の萌芽」では、「もの派」と概念芸術(特に、コミューンへの指向性をもった松澤宥)が取り上げられ、「第10回日本国際美術展 人間と物質」(東京都美術館|1970)が万博に対置される。

膨大な物量の作品および資料が、1968年の混沌を冷静に読み直すべく整然と展示された印象であるが、その狙いは目的を果たしていたように思う。この展覧会は、1968年の芸術を現在と切り離して「あの時代は熱かった」と感傷的に懐かしむものではない。それは、戦後日本の前衛芸術が終わり、芸術という枠組みについての反転が生じた瞬間を1968年に見出し、これまで大雑把に一般化されてきたその歴史を再考しようとするものである。この問題意識は、本展を企画した学芸員の一人である水沼啓和のディレクションによるところが大きいと思われるが、このことは展覧会カタログに掲載された水沼のテクスト「1968 現代美術の転換点」からも読み取ることができる。以下、そのテクストの第4節を簡単に要約してみたい。

水沼はテクストの中で、千円札裁判の有罪判決と、前衛芸術家の万博への動員という二つの出来事によって前衛が終焉したとする一般化された見方に対して、次のように反論する。まず千円札裁判については、裁判によって犯罪と結論付けられたことによって「終焉」があったのではなく、結局のところ「芸術であるから無罪」という弁護方針によって、前衛が自らの「匿名性」や「得体の知れなさ」を捨てるものだったところに問題をみる。それは石子順造が指摘した通り「安全に国家体制内に温存された芸術の近代」に自ら収まるものだったといえ、前衛芸術が政治性を失うことに等しかった。前衛の万博参加と反博運動については、国策イベントとしての万博に前衛芸術が参加したことだけでなく、反博運動も当時の左翼的な政治言説の範疇にとどまり、有効な戦略を取ることができなかったため、結局のところ万博と反博が同じ祭りの中に飲み込まれてしまったことを指摘する。これは芸術の問題として万博(これを「近代」と言い換えることも可能だろう)を捉えることができなかったことを意味している。そして、万博参加と反博運動の対立の一方で、政治とは離れた場所で、観念的に現代美術を追求する「もの派」などの動向が出現することで、「前衛の終焉」は決定的なものになったという訳である。

本展のなかでこの論理が説得力を持って成立していたのは、「A2」と「B4」で美共闘・日宣美粉砕・フィルムアートフェスティバル中止事件、そして万博破壊共闘派が、1968年の芸術における造反行動として展示されていたためである。これまで椹木野衣や黒ダライ児によって言及される機会のあった万博破壊共闘派やゼロ次元はまだしも、美共闘・日宣美粉砕・フィルムアートフェスティバル中止事件を、共通する社会的背景を持った造反行動として取り上げた展覧会は皆無だった。これらの展示によって、万博参加と反博運動が表裏一体のものであった*1こと、すなわち戦後日本における前衛の限界が露呈しているのである。この限界は、制度に対する造反行動が、結局のところ制度に依拠することで造反足り得ているという事実を示しており、それは言うまでもなく千円札裁判における「芸術であるから無罪」という、ある制度を前提とした主張とも通底している。

本展は1968年の芸術・文化を現代美術を中心として考察し、「前衛の終焉」*2と、戦後日本におけるねじれた近代の問題を展覧会を通して明らかにした、極めて重要な展覧会であったと思う。水沼氏の最後の仕事に敬服しながら、氏のご冥福をお祈りする。

*1:ただし私は、万博における松本俊夫・横尾忠則らのせんい館については、例外的な価値を認める立場をとる(水沼のテクストの中でも、せんい館については、そこにポストモダンを先取りする戦略があったことが指摘されている)。松本は万博以降、個人の内的な変革を目指して、個人の意識を規定してしまう「言語」や「物語」の問題に取り組んでいったが、それは石子が指摘するような「場所の制度性」を問題とする立場を踏み越えている。博論の結論でも簡単に触れたが、このすれ違いについては同時期の松本と石子の論争を参照のこと。

*2:水沼は1968年における「前衛の終焉」を、テクストと展示の中で論証した訳であるが、ここに私は、映画の文脈から補助線を引いておきたい。映画における前衛のその後は、現代美術のそれよりも複雑であったといえる。足立正生は風景論を経てパレスチナに越境して日本赤軍に合流し、野田真吉・城之内元晴は民俗学的な撮影対象に向かい、小川紳介・土本典昭は局地的な社会問題の内部に向かった。映画における前衛は、現代美術とは異なり、その後も持続性を持ってある程度は展開したのである。むしろ、映画における「前衛の終焉」が決定的なものになったのは、蓮實重彦が政治性を括弧に括る表層批評を1970年代に展開したためである。

Trap/HipHop MV 2018

2018年にリリースされたMVでよく聴いた、あるいは印象に残った日本語のトラップ/ピップホップを10点ピックアップ(楽曲のみアップされたものも含んでますが)。全体としては、去年と変わらずエモさとハードコアさが同居したものが好みだった模様。

KID FRESINO – Retarded (Official Music Video)

KID FRESINO – Coincidence (Official Music Video)

KID FRESINO – Arcades ft.NENE (Official Music Video)

Febb as Young Mason – SLAY (Prod. Chaki Zulu)

ゆるふわギャング “Psychedeligood”

kZm – Dream Chaser feat. BIM (Prod. Chaki Zulu)

kZm – EMOTION (Chaki Zulu Remix)

Jin Dogg – 彼岸花 (cluster amaryllis) ft. Young Coco (Official Music Video)

YDIZZY – not (dead) (Prod. Chaki Zulu)

Jin Dogg & YDIZZY – set (Official Music Video)

Febb亡き後にリリースされたKid Fresinoの『ài qíng』は、ヒップホップ云々ではなく個人の痛みのようなものが普遍化された表現として印象的で、今年の秋から冬にかけて飽きもせず繰り返し聴いた(Fla$hBackSの諸作品と交互に)。音楽的にもユニークで、トラップとは違うやり方でヒップホップの典型からの逸脱を果たしており、ある音楽のスタイルが再編される過程で生じる面白さが、いたるところに表出していた。これもラッパーがトラックメーカーを兼ねているからこそ可能となったアプローチなのだろう。
ゆるふわギャングの空虚さや喪失感を内包したアンビエントな楽曲も、夏頃によく聴いた。ゆるふわにはKid Fresinoの現在の方向と一致するものがあり、この二者が接近するのは必然だったと思える。
今年のYENTOWNを引っ張ったのは間違いなくkZmの『Dimension』だった訳だが、この作品も、トラップ以降の何でもありになったヒップホップを象徴する作品としてよく聴いた。しかし、最も印象的だったのは、アルバムに収録された楽曲よりも、後日ひっそりとリリースされた「EMOTION (Chaki Zulu Remix)」だったりする。hnrkによる憂鬱なトラックが、Chaki Zuluによって、90年代のグランジのようなギターサンプルを中心に作り変えられており、初めて聴いた時にはそのギャップに衝撃を受けた。このような、トラップから一昔前のオルタナティヴロックへの跳躍が新しいものとして映るのはLil Peep以降の現象であるといえるが、それは逆説的にこの二つの音楽が根差しているものの共通性を示しているのかもしれない。トラップは、いまあるポピュラー音楽のなかでも、最も実存の問題を突き詰めた音楽だと思っているが、それは空虚さや喪失感を内包しながら、その空白を「いま・ここ」の享楽性に反転させることで成立しているのだろう。
一方、トラップをハードコアパンクのテンションにまで高めるJin Doggと、一時活動を休止していたYdizzyは両者ともに好調だったが、この両者が共演した「set」は、予想の斜め上をいくテックハウスのようなトラップで面白かった。短かったので続編を期待。

告知「イメージの廃墟 黒澤潤・実験映画作品集」

都内のインダストリアルスペースにて、長編実験映画『猫耳』(1994)の監督として知られる映像作家・黒澤潤の代表的な8本の作品を上映いたします。彼の事物(それはオブジェとしての身体も意味する)に対する独自のまなざしと実験精神が織り成すクールな世界観による作品群は、90年代に国内外の映画祭等で高い評価を獲得しながらも、その後、ソフト化された一部の作品を除き、長い間見ることが出来ませんでした。今回は当レーベルの調査によって新たに発見され、フルHDスキャニングによってデジタル化された、貴重なフィルム作品+αをお披露目いたします。本イベントは2部構成となっており、後半に上映する3作品ではミュージシャンである古舘徹夫氏、クリストフ・シャルル氏によるライブ上映を実施するほか、上映後には黒澤潤監督ご本人をお招きしての短いトークも行います。また当日、KRAUT FILM配給ソフト第一弾として、同氏のBlu-ray作品集を販売する予定です。最先端のデジタル化技術によって蘇った、伝説の実験映画作家のフィルム作品をぜひ、ご高覧下さい。

黒澤潤 / Kurosawa Jun
1964年生、多摩美術大学美術学部芸術学科卒。大学時代、同期と結成したインディーズ・バンドで数年に渡る活動をした後、萩原朔美に師事し、映画制作を始める。初期においては「光や物体(あるいはフィルムそのもの)をフレーム単位の編集によって操作する構造的なスタイル」の作品を多数制作、やがて作品は物語性を取り入れ始め、「肉体的エロス」や「タナトス」、そして「幼児性」といった要素を通じて、より自身の内面的世界の分析へと移行して行く。大学卒業後は福嶋輝彦・秋田敬明らによるアートプロデュースユニット<T.T.PARTY>との協働によって、現代美術の方面にも携わりつつ、1994年に恵比寿のイーストギャラリーで行った『猫耳』(1994)のプレミア上映では記録的な動員を達成。また、国内のノイズシーンとの関わりも深く、自身がノイズミュージシャンとして活動する傍ら、メルツバウを追ったドキュメンタリー『ビヨンド・ウルトラ・ヴァイオレンス』(イワン・ケルコフ、1998)ではコーディネイトを担当する。その他にも、パフォーマンスユニットとのコラボレーションや、映像オペラ『サテュリコン』(2004)を手掛けるなど、常に越境した映像表現を探求する。

桜台pool(東京都練馬区桜台1-7-7)
12月15日(土)
OPEN/18:00 START/18:30
入場料:2000円
主催:KRAUT FILM


まるでノイズレーベルのような匿名的な活動をみせるKRAUT FILMは、今年の夏、実験映画作家ピエール・リュック・ヴァイヤンクールを国内紹介する上映会を開催したが、その一方で、以前より黒澤潤のフィルムのデジタル化に取り組んでいたらしい。黒澤はノイズミュージックを始めとした1990年代のサブカルチャーとも通じる退廃的な表象の実験映画で知られるが、90年代半ばより作家が寡作となったために、その作品にアクセスすることが困難な期間が長く続いていた(このような過去の実験映画へのアクセスの困難さは黒澤作品に限ったことではないが)。
このような状況に一石を投じるべく、KRAUT FILMは、デジタル化が完了した黒澤作品を収録したBlu-ray作品集をリリースし、それに併せてライブ上映会を開催するらしい。上映会場は映画館ではなく、インダストリアル/ノイズのリスナーにはお馴染みの桜台poolであるが、いまの都内のスポットで、ここほど黒澤作品に適した場所もないだろう。プログラムは「Chapter 1:Selected works 1988 – 2003」と、古舘徹夫とクリストフ・シャルルがライブを行う「Chapter 2: 3 Experimental Short Films + Tetsuo Furudate & Christophe Charles Live Performance」によって構成される。古舘とシャルルは、90年代サブカルチャー的なノイズの要素を備えながらも、コンテンポラリーな電子音楽とも繋がる実験性を持った数少ない作家であり、ベストな人選だという他ない。
それにしても、ヴァイヤンクール、黒澤、古舘、シャルルを繋ぎ合わせるKRAUT FILMのオーナーの審美眼は、実にはっきりしている。それはインターネット普及以前のアンダーグラウンドな文化空間につながる回路を、このSNSが偏在化した現在においてこじ開けようとする、ある種の反時代的な身振りでもあるだろう。

告知「風景/映画再考 Vol.5 相原信洋――風景論としてのアニメーション」

映像作家の佐々木友輔氏による企画「風景/映画再考」の第5回として、鳥取大学にて「相原信洋――風景論としてのアニメーション」の上映会を行います。今年3月に発見された、相原信洋の幻の初期8mm作品である『風景の死滅』の上映を軸として、ドキュメンタリーや風景論映画につながる、相原のもう一つの側面に光をあてるプログラムとなっています。以下、公式の告知と、当日配布予定のハンドアウトを転載しておきます。当日は、沖縄戦を主題とした『TRAILer』(2016)などの制作を通して風景論映画の再考に取り組んでいる佐々木氏と、相原作品における風景の問題についてお話ししたいと思っています。よろしくお願いします。

風景/映画再考Vol.5
相原信洋――風景論としてのアニメーション

日時|2018年11月4日(日)17:00-20:00
講師|阪本裕文(映像研究者)
場所|鳥取大学コミュニティ・デザイン・ラボ(※鳥取大学鳥取キャンパス広報センター内)
入場料|無料
企画|佐々木友輔
平成30年度 鳥取大学地域学部長経費事業
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風景/映画再考の第5弾は、映像研究者の阪本裕文氏を講師にお迎えして、日本を代表する個人アニメーション作家・相原信洋氏(1944-2011年)の上映会および講座をおこないます。

第1部では、代表作の上映を軸に相原氏のフィルモグラフィーを辿るとともに、NPO法人戦後映像芸術アーカイブによる、相原作品のデジタル復元やアーカイブ化への取り組みについて紹介していただきます。

第2部では、今年3月に発見された幻の初期作品『風景の死滅』(1971年)の上映を軸に、アニメーション制作を通じて政治や社会の問題に切り込むドキュメンタリー作家・風景論映画作家としての相原氏の側面に迫ります。


相原信洋――風景論としてのアニメーション
阪本裕文

第1部|Animated Psychedelia
 相原信洋は1944年、神奈川県生まれの個人アニメーション作家である。デザイン学校で学んだのち、スタジオゼロやオープロダクションに所属し、商業アニメのアニメーターとしての仕事に取り組んだ。その一方で、相原は1965年より個人としてのアニメーション制作も開始し、『あめ』(1965)を実質的な第一作として、数々の個人作品を制作した。1960年代後半とは草月アートセンターの活動によって日本の実験映画・個人映画・個人アニメーションが拡大していった時期にあたるが、相原の創作活動も、このような運動によって動機付けられていたといえる。
 続いての作品である『STOP』(1970)、『サクラ』(1970)、『風景の死滅』(1971)、『相模原補給廠』(1972|未発見)が制作された頃とは、安保闘争以後間もない時期にあたり、相原の作品にも、当時の政治状況が反映されている。それはアニメーションに留まらない、ある種の社会的なドキュメンタリー性を備えるものだった。そして『やまかがし』(1972)の頃からは、自身の原体験に関わる内省的な方向に向かい『みつばちの季節は去って』(1972)、『うるし』(1973)、『逢仙花』(1973)、『初春狐色』(1973)などの、個人の原体験を遡及する、内省的なドキュメンタリー・アニメーションが生み出される。
 こういった試みを経て、相原は転換作である抽象的なドローイング・アニメーション作品『妄動』(1974)に至る。その表現は、作家の無意識の表出としての抽象的な形態が、まるで有機体のように蠢いてゆくというものだった。同作以降、この抽象的なアニメーションの方向は、相原にとって主題の一つとなり、『雲の糸』(1976)、『カルマ』(1977)、『水輪 カルマ2』(1980)を経て、晩年の『ZAP CAT』(2008)に至るまでの作品に引き継がれてゆく。
 そしてもう一つ、相原は『STONE No.1』(1975)を経て作られた『STONE』(1975)において、フレームの枠組みを超えてフレーム外部の現実空間を巻き込んだ、広がりのある運動性の表現にも取り組むようにもなる。こちらの主題に連なる作品としては、『光』(1978)、『アンダー・ザ・サン』(1979)、そして『映像(かげ)』(1987)を挙げることができる。
 しかし正直を言えば、このような私の安易な分類も、実は大して意味を持たない。相原のフィルモグラフィーには、実験的なドキュメンタリーと呼ぶしかない『SHELTER』(1980)および『MY SHELTER』(1981)や、古い納屋の壁や屋根に映写機からアニメーション映像を投影する『リンゴと少女』(1982)、女性のヌードと夕暮れの野原が多重露光される『とんぼ』(1988)など、異質性を持った作品が幾つも存在する。安易な分類を拒否する、狭義のアニメーション作家にとどまらないアニメーション作家、それが相原信洋なのだと思う。
 また相原は作家活動だけでなく後進の指導にも熱心に取り組み、京都造形芸術大学で教鞭をとったほか、各地で「地球クラブ」等のアニメーション・ワークショップを開催し、個人によるアニメーション制作の普及にも大きく貢献した。2011年、相原はインドネシアのバリ島を旅行中に急逝した。

上映作品

『STONE』(16mm、8分、1975年)
アニメーションの枠組みを拡張した、日本における個人アニメーションの代表作。石や家屋に描かれる形態は、周囲の自然環境の推移とともに、その姿を刻々と変えてゆく。


『カルマ』(16mm、3分、1977年8月)
水滴の描画から開始される、『妄動』の延長線上にある繊細な抽象アニメーション。


『アンダー・ザ・サン』(16mm、11分、1979年)
草原や牧場に置かれた画用紙のなかで、アニメーションが展開する。『Stone』の延長線上にあると言える作品。


『逢魔が時』(16mm、4分、1985年)
作家特有のサイケデリック・アニメーションの世界が確立されたといえる驚異的な作品。混沌と猥雑さが増殖してゆく。


『映像(かげ)』(16mm、8分、1987年)
現実の手と、その影と、描かれた手のイメージが、激しい明滅のなかで交差する。『STONE』に並ぶ代表作。


『WIND』(16mm、5分、2000年4月)
写真家である鈴鹿芳康によるピンホールカメラの写真から開始され、漆黒の空間の中を、緻密な抽象アニメーションが展開してゆく。


『LOTUS』(16mm、3分、2007年)
鮮やかな色彩のサイケデリック・アニメーション。不定形な細部が、豊穣な全体性を生み出してゆく。

第2部|風景論としてのアニメーション
 1969年8月~11月にかけて、足立正生・松田政男・佐々木守・平岡正明・相倉久人からなる批評戦線は、ピストル連続射殺事件を起こした永山則夫についての映画『略称・連続射殺魔』(1969/1975)を製作する。この作品は永山が各地を流浪しながら見てきた風景を追うものであったが、彼らはその撮影のなかで、様々な場所で風景が均質化されていることを発見する。そして、そのようなどこにでもある風景を、自分を抑圧する権力そのものとして意識したからこそ「永山則夫は、風景を切り裂くために、弾丸を発射したのに違いないのである」*1と考えた。そして松田はそれまでの「情況」に代わって「風景」という言葉を提示して一連の風景論を執筆し、1971年にそれらをまとめた第三評論集『風景の死滅』を出版する。
 この風景論争には足立正生・中平卓馬・原正孝(将人)なども加わり、論者によって異なる水準で論じられた。松田は「風景とは国家権力のテクスト」*2であると見なして、権力と資本主義が結合する現代を予見しつつ、次なる闘争の準備として風景論を展開していた。一方の足立は、そのような風景を突破するために『赤軍―PFLP 世界戦争宣言』(1971)で映画=実践という運動形態に移行し、風景論から報道論へと理論を進め、やがてパレスチナへと越境する。
 相原は当時、このような風景論争との関わりを持たなかったが、1971年に発表された『風景の死滅』(1971)は、制作時期の一致から、松田の著作を意識して名付けられていると考えるべきだろう。では、相原はどのような水準で風景を捉えていたのだろうか。『風景の死滅』における三里塚闘争の風景は、権力論としての風景論に影響を受けながらも、そこに回収できない余剰を含んでいる。特に後半のコマ撮りによる展開は権力論では掴み取れない、意味化されない事物に目を向け、それを運動させることに執着している。風景論争に加わった論者の一人である写真家の中平は、1973年に評論集『なぜ、植物図鑑か』を出版する。そのなかで中平は、1968年より始まったプロヴォークの活動を経て、「世界、事物の擬人化、世界への人間の投影を排除してゆかねばならないであろう」*3として、人間を中心に置いて世界を見ることを否定し、イメージや観念を受け付けない「植物図鑑」の思考に至ったことを記述する。図鑑とは「部分は部分にとどまり、その向こう側には何もない」*4ものであり、「輝くばかりの事物の表層をなぞるだけ」*5のものである。『風景の死滅』における廃屋や工事車両、そして自然の草花の微細な運動もまた、中平が述べるところの「図鑑」に共鳴するものとして存在しているのではないか。
 その後しばらく、相原は内省的なドキュメンタリー・アニメーションに向かう。それは、安保闘争の熱気が冷めてゆく社会に対する、ある種の諦観を反映したものであったかもしれない。このような作家の原体験を遡及する表現は極めて個人映画的、あるいは日記映画的なものであった。そして相原は、1980年代に入って『SHELTER』(1980)と『MY SHELTER』(1981)のなかで、再び風景論としてのアニメーションと呼べる試みに取り組む。この2作品における戦時下の記録音源の使用は、防空壕として使用された洞窟を被写体としながら、現在と過去という時間的な距離を画面内に二重化する。その一方で展開される、コマ撮りによる草花の微細な運動は、そのような人間の歴史性に回収できないものが、眼前の風景の中に存在していることを明示する。そこで発見されたものは、まさに「輝くばかりの事物の表層」だといえる。『リンゴと少女』(1982)における古い納屋へのアニメーション映像の投影も、同様の性質を持つものであろう。恐らく作家にそのような意図はなかっただろうが、これらの作品には、作家の意識を超える形で、現在において風景論を思考するヒントが含まれているように思えてならない。
 相原は国内外にアトリエを持ち、各地を転々としてアニメーションを制作していたことで知られる。そのことを風景論に結びつけるのであれば、それは均質化されない風景を探す旅の一形態だったのかもしれない、そんな空想を書き留めて、この文章を閉じたい。

*1 松田政男『風景の死滅 増補新版』、航思社、2013、p17 ※この引用元を含む文章「密室・風景・権力」は『薔薇と無名者』(芳賀書店、1970)に収録されたもので、『風景の死滅』(田畑書店、1971)には収録されていない。増補新版では改めて追加収録された。
*2 前掲書 p300
*3 中平卓馬『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』、筑摩書房、2007、p20
*4 前掲書p35
*5 前掲書p35

上映作品

『風景の死滅』(8mm、15分、1971年)
成田空港建設に反対する三里塚闘争の現場にて撮影されたドキュメンタリー・アニメーション。日本幻野祭の前後と思われる現場の様子が記録されているほか、接収された土地を整地する工事車両や廃屋などがコマ撮りによって展開する。


『やまかがし』(16mm、5分、1972年3月)
厚木基地の米兵と街の娼婦を、子供の視点から見つめたアニメーション。この時期の相原作品には、作家が幼少期に見てきた社会についてのドキュメンタリー的要素が含まれている。


『逢仙花』(16mm、12分、1973年4月)
作家の祖母の写真に、彼女の一生を辿るようなアニメーションが重なり合い、葬儀の遺影にて作品は終えられる。静謐なドキュメンタリー・アニメーション。


『SHELTER』(16mm、7分、1980年)
作家の実家の側にある、戦時中に防空壕として使われた洞窟。その周辺に生える木々にペイントを施し、コマ撮りを行う。鮮やかな色彩が戦争の記憶に併走しながら、微細に振動する。


『MY SHELTER』(16mm、9分、1981年10月)
前作に続き防空壕として使われた洞窟がモチーフ。草木を接写しながら高速でカットアップし、その形態を抽象化する。作中の最後では、戦時下を生きた老人らの現在の姿が映し出される。

第10回恵比寿映像祭「岡部道男特集 アンダーグラウンドとキャンプ」+「岡部道男特集 クレイジーラブ」@東京都写真美術館

1960年代末のアンダーグラウンド映画、すなわち実験映画・個人映画の運動を現在から振り返るならば、そこにはいくつかの運動拠点があった。大きく分けて、それは「1:『季刊フィルム』=草月アートセンター」「2:『映画評論』=フィルムメーカーズコーポ+日本アンダーグラウンドセンター」「3:『(第二次)映画批評』=鈴木清順問題共闘会議~批評戦線」の三つである。岡部道男は、金坂健二・おおえまさのりなどと共に、フィルムメーカーズコーポを拠点として活動していた個人映画作家(彼には、この呼び名が最も相応しい)であり、スーザン・ソンタグの「キャンプ」の思想を実体化したような作品を制作した。キャンプ的な表現とは同性愛的なモチーフを取ることもあるが、それだけに限らない。キャンプとはシリアスな態度から逸脱し、文化的に低級な存在として扱われてきた誇張された物や、わざとらしい紛い物を、それ自体として楽しむ態度であるが、それは文化的な階級付けにおいて貶められた物に依拠して世界を読み直すことでもあっただろう。恵比寿映像祭に先立つ「エクスパンデッド・シネマ再考」のシンポジウムにおいてブランデン・ジョセフは、1967年の『Index』出版の前後に主題を変化させて、LGBTや麻薬中毒者などの少数者を取り上げるに至ったアンディ・ウォーホルの仕事の重要性を指摘していたが、ここで取り上げる岡部の仕事もそれに相当する。
岡部のフィルモグラフイーは、『天地創造説』(1967)、『クレイジーラブ』(1968)、『貴夜夢富』(1970)、『歳時記』(1973)、『少年嗜好』(1973)、『回想録』(1980)の六作品であり、数は多くないが、いずれも同時代的な空気を映画に取り込み表現した、重要な作品ばかりである。


岡部道男『天地創造説』(1967, 16mm, 26min)
ケネス・アンガーの『スコルピオ・ライジング』(1963)に衝撃を受けた岡部が、一気にシナリオを書き上げて制作した最初の映画である。当時の岡部の言説には、映画の個人所有化・プライベート化を突き詰める考えが言明されている。岡部は最初から、商業映画の代用品ではない個人映画への自覚を持っていたというべきだろう。聖書のエピソードを下敷きにしながら、当時の風俗や大衆文化の断片、猥雑なイメージをごった煮のように取り込んでアンダーグラウンドな映画としてまとめ上げた怪作である。
この時期の草月アートセンターは、草月実験映画祭(1967年11月)にて作品の一般公募を行い、それまでの観客層が個人映画の作家に転じる流れを作ろうとしていた。本作はその流れを象徴する作品でもあり、草月実験映画祭で奨励賞を獲得した。
モノクロ。サウンドは非同録で、事後的にロックや歌謡曲などのサウンドトラックが追加されている。

作中のシークエンスは四章に分けられており、以下の順番で進行する。
1:創造前夜
・河原にて、アメリカ国旗に包まれた棺桶からよみがえる丹下左膳。十字架を背負うキリスト。疾走するバイクから男が降りて、富士山を睨み付ける
・女の後ろ姿。手相占い。シャドーボクシングを行う男
・袋を抱えた男が、路上に袋を放置する。中から男が出てくる
・袋を抱えた男が、映画館に袋を放置する。また中から男が出てきて、スクリーンの前に立つ。そして消える

2:アダムはその時ひとりだった栄光
・公園をさまよう男。公衆便所の卑猥な落書きを、マッチで火を灯して見る。自らも落書きをする
・部屋で上半身裸になる男
・男が街頭で何かを配る
・男が滝で瞑想する

3:その時君は
・海岸を歩く男が女と出逢う
・白画面に、女の喘ぎ声がボイスオーバーで重なる
・浴衣姿の男と女。一緒に入浴する
・子ども(人形)が生まれる
・アダムとイブの絵。男が楽園を追われる

4:カインは生き返った
・空手家の男。ギターを弾く男。鞭を振るう男。お面売りの男
・バイクに跨る男。『スコルピオ・ライジング』のパロディ
・公衆便所の落書きに欲情する男が、何者かに拳銃で撃たれる
・男が瀕死の状態で街をさまよう
・銀座の街頭に置かれた岡部道男本人を模した銅像に、「君が好きなんだ、いいだろう?」という声がボイスオーバーで重ねられる。歌謡曲が流れ出す


岡部道男『クレイジーラブ』(1968, 16mm, 93min)
同時代の映像作家や評論家を俳優として出演させ、壮大な紛い物としてのキャンプ的世界を構築した大長編。キャストを列記すると次の通り。

ミシエル:岡部道男
パトリシア:青山マミ
さおだけやさん:末永蒼生
その妻:兵頭桂子
おかまのたむちゃん:牟田博邦
「男性・女性」:宮井陸郎
東京ガスの人:ガリバー
ワンツウスリー:川尾俊昭
仲よしのプロレスラー:ナシ、リョウ
イザベル:ヒゲダルマ
壷坂霊験記:アリババ、ケン
やられる男:森真一
モスクワ芸術座の人たち:オーム・マキタ、ヒロミ、オオサト、フジケン、ゴミブチ、ミミ、オカベ、サイト
座長:刀根康尚
カメラマン:渡辺睦
ジュリイ:斉藤みみ
やきいも屋のおじさん:佐藤重臣
クライド:岡部道男
ポニー:五味淵純
レズビアン:児玉節子、新谷さちこ、やしや、渡辺眸
フーテン:マリオ、リョウ、ナシ、ヒゲダルマ、ヒラギ、アリババ、トムソーヤ、ジョージ、ケン
夕日のガンマン:金坂健二
ジャンゴ:岡部道男
おまわりさん:斉藤司郎
サンパの男:白鹿勝
その男オカベ:岡部道男
ゼロの男:加藤好弘、永田智、上條順次郎、松葉正男、加藤弥平治、岩田信一、小岩高義
金嬉老の近さん:斉藤司郎
マルセリーノ:布施和彦
エリオット・ネス:岡部道男
ホブスン:鎌田勝彦
警官:岡部公甫
ジャニー、ギター、出田繁幸、精松隆幸、高森マキ、石橋初子
特別出演:石井満隆、チダ、ウイ、小山哲男、麿赤児、アオメ、吉田鷹男

これは内輪のノリとは異なる、極めてキャンプなキャスティングである。岡部がこのような映画を構想した背景を考えるために、本作の制作時の岡部の言説を参照してみたい。

「そうでないものがフーテンやホモの役を演じるのではなく、そのままホモはホモとして出てくる。そうでないものはみなあこがれをむき出しにするということであまりに軽薄であり、またそれは多面の輝きが内部意識という人間固有の観念よりも優位を示している現象である。そして、そのようにしてつくられた映画はその時だけのものとして終焉するのをいとうことはない」 (『映画評論』1968年8月号)

ここで述べられていることは、ある種のリアリズムである。そこで紛い物は紛い物としての表面の輝きを発揮する(例えば、レストランの店頭にあるプラスチックの食品模型は、食品模型であることのツルツルした輝きを誇るだろう)。岡部はこの映画において、表層的な物こそが意味や観念に先行することを示している。それはこの時代に始まり、現在に至るまで続くポストモダン化した私たちの社会の本質でもある。
パートカラー。サウンドは非同録で、事後的にロックや歌謡曲などのサウンドトラックが追加されている。

『映画評論』1968年10月号にはシナリオが掲載されているが、完成版とは一部のシークエンスが異なるようである。以下のシークエンスのメモは完成版に基づくもので、カラーで撮影されたシーンには*Cの表記を置いた。

・ゼロ次元による行進パフォーマンス *C
・女装の男と若者たち、地下通路を転がる
・女装の男と男たち *C
・時代劇の舞台で、役の扮装をした男と女がいちゃつく *C
・レスリングの試合をする男たち。やがて互いを愛撫し合う
・ゼロ次元が裸でお茶を点てる
・女装する男の正面像
・裸の若者ら、ギターを持って輪になる
・テーブルについて話す若者たち(微速度で撮影)
・女装の男、交番で警官に話しかける(アフレコで架空の会話を当てる)
・ヘルメットの活動家が、警官にThe Beatlesの「 Yesterday」の歌を捧げ、手を繋いで街に繰り出す
・ダンサー姿の女装の男が野外で踊る
・ガス会社の男の来訪
・スタッフクレジット。主題歌はPaul Ankaの「Crazy Love」 *C
・金嬉老の金さんと、本物の金嬉老の写真
・ダンサー姿の女装の男が野外で踊る
・浴衣の男女
・木に登る裸の男
・ランニングするボクサー
・女装の男が公園を歩く
・背広姿のガンマンが、ゴダールの『勝手にしやがれ』のパロディを繰り広げる
・ガンマンが街で、人々を撃ち殺す
・奇妙な公園(愛知県にある五色園)にてゼロ次元のパフォーマンス
・公園にある女性の銅像に抱きつく裸の男
・夕陽のガンマンの決闘。睨み合いが続き、やがて抱き合い接吻する
・女が学生に化粧をほどこし、路上でくつろぐ
・ゼロ次元パフォーマンス
・やきいもの屋台を引く男
・ダンサー姿の女装の男が路上で踊る
・ダンサー姿の女装の男が部屋で踊り、老婆を抱きかかえる
・金魚鉢を持って練り歩く半裸のサングラス男 *C
・ガンマンが男を追いかけ、銃撃する。倒れこみ苦しむ男 *C
・マンションにて警官の踏み込み捜査。偽札を押収する
・ゼロ次元パフォーマンス


岡部道男『貴夜夢富』(1970, 16mm, 44min)
タイトルの通りキャンプ的な表現を徹底的に突き詰めた、岡部の代表作といえる作品。世間一般に承認されている美醜の感覚から遠く離れて、別の尺度で測られた審美的な世界を体現する映画であり、ジャック・スミスに通じる規範的価値を転倒させたような過剰なイメージと、ウィーン・アクショニズムに通じる自壊的な身体的行為が、息つく暇もない程の濃密さで詰め込まれている。
サウンドは非同録で、事後的にサウンドトラックが追加されている。完全なフルカラーのシーンもあるが、多くのシーンにおいて、モノクロのフィルムに単色のカラーフィルターを重ねることで色彩が表現されている。

作中のシークエンスは、以下の順番で進行する。フルカラーで撮影されたシーンには*C、赤フィルターのシーンには*R、青フィルターのシーンには*Bの表記を置いた。

・和室にて、二人のマッサージ師から施術を受ける浴衣姿の男。カエルの鳴き声が重なる *R
・和室の片隅にある、忌中と書かれたゴザの影から男が現れて、浴衣姿の男をマッサージする *B
・訪ね犬の貼り紙。和室に犬が現れ、男たちは犬の真似をする。畳を裏返す *R
・裸の男にスライドを投影する *R
・男同士で責め合い、臀部に焼きごてを押す *B
・和室に吊るされた紗幕の中で、裸の男たちがたむろする *B
・牛若丸の絵本に、弁士の語りが重なる *C
・風呂をたく三助。石井満隆が扮するドラッグクイーンが入ってきて、三助にマッサージしてもらい、二人で湯船につかる。三助がドラッグクイーンの頭を剃って坊主にする。ドラッグクイーンが踊る *C
・和室にて男たちが様々な狂騒を繰り広げる。スズムシの鳴き声が重なる *R
・ヴァイオリンを弾く男に、別の男が抱きつく *C
・テレビモニターに映し出される吸血鬼ドラキュラのドラマ。牙を付けたドラキュラに扮する警備員が登場し、一句詠んでから、オルガンを弾く男に噛みつく。和室にドラキュラ警備員が屋台を引いてきて、客に酒を出す *C *R *B
・和室にて、ドロドロになった二人の裸の男が絡み合う。弁士の語りが重なる *B
・白画面に、花の種子袋のイメージが一瞬だけカットインされる *C
・春画が映し出されたのち、和室にて、ドラッグクイーンと三人の男たちが並んで踊る *R
・ドラッグクイーンが、小舟の張りぼてに乗って和室から去ってゆく *C
・力を込めた男の臀部のアップ *R

第10回恵比寿映像祭「不可視であるなら、私が。 出光真子おんなのさくひん」@東京都写真美術館

恵比寿映像祭についてのレビューは展示についてのものが多く、上映プログラムについてはあまり言及がないように思う。しかし、この映像祭は上映プログラムこそが重要であり、そこでは美術と映像を越境した、総合テーマに深く関わる作品が集められている。今年で言えば特に重要だったのは出光真子、岡部道男の特集プログラムと、足立正生らによる『略称・連続射殺魔』の35mm上映プログラムであり、それらは社会的に不可視化されていたジェンダーの問題や、公的な世界から存在しないものとして扱われた存在を主題化する仕事であったといえる。
出光真子は、ジェンダーの問題を批判するビデオアートや執筆活動で著名な作家だが、活動の初期にあたる1965年から1973年にかけてカリフォルニアを拠点とし、そこでブルース・コナーなどに実験映画を学んだという。このようなアメリカ西海岸の実験映画を背景とした出光のフィルム作品は、後年の社会的でコンセプチュアルなビデオ作品とはまた異なった、身近な風景を被写体とした情感豊かな表現を含んでいる。フィルムにおける親密な風景の表現と、ビデオにおける社会的な表現、この二つの方向を一人の作家の仕事として見直すこと、それがこのプログラムの目的だったと思う。フィルム作品とビデオ作品を交互に配置したその構成は、大変意義深いものであった(出光の上映作品のプログラミングを担当したのは、ビデオ作家の服部かつゆきである)。


1:『Woman’s House』(1972, 16mm, 13min40sec)
カリフォルニア芸術大学のフェミニスト・アートプログラムのなかで、アーティストであるジュディ・シカゴとミリアム・シャピロは、ロサンゼルスにあった家屋を利用し、1972年の1月から2月にかけて「ウーマンハウス」を組織した。これは家屋の至る所にインスタレーションやオブジェを設置するもので、フェミニズムを主題としたパフォーマンスも行われた(公式ウェブサイトでは、詳細なドキュメンテーションが公開されている)。
本作はこの「ウーマンハウス」を無人の空間として撮影した最初の16mmフィルム作品であり、その静謐な表現は、サンタモニカや雪ヶ谷を撮影した作品に共通するものがある。
カラー。サウンドは、スチールパンとパーカッションによる楽曲で、一部で声を加工したテープコラージュも用いられる。

作中のシークエンスは、以下の順番で進行する。
・絡まった紐のオブジェ
・乳房のオブジェが敷き詰められた壁
・電球の下に並んだ料理のオブジェ
・赤い内装の部屋
・ゴミ箱に溢れるナプキンのオブジェ
・花嫁姿のマネキンのオブジェ
・ドールハウス
・棚に組み込まれたマネキンのオブジェ
・女性用の衣服
・粘土で作られた料理のオブジェが並ぶ食卓
・目玉焼きのオブジェが敷き詰められた天井
・ハイヒールの収められた靴棚

2:『おんなのさくひん』(1973, Video, 11min)
洋式便器に捨てられたタンポンから、ゆっくりと血が滲んでいる。カメラはその様子を、フィックスショットの長回しで撮影する。そこに産婦人科医師役の男性による、男子優位の家父長的な価値観に染まった内容の語りが、二か国語のボイスオーバーで重ねられる。
日本のビデオアートにおける最初期の作品であり、世界的に見ても、女性ビデオ作家であるキャロル・ルッソプロスなど並んで、早い段階で社会的な女性差別の問題を批判したビデオ作品だといえる。
モノクロ。

3:『Inner Man』(1972, 16mm, 3min40sec)
心理学でいうところの、女性の集合的無意識下にある男性像(アニムス)を表現した16mmフィルム作品であり、着物姿の東洋人女性の舞踊の映像に、女性の無意識的な男性像を表象する、ダンスを踊る裸の白人男性の映像が多重露光される。
本作でのフィルムの多重露光によるイメージの重層化は、『主婦の一日』以降のビデオ作品で展開されることになる画面内にモニターを配置するメタ的な手法の前段階に位置付けることができるだろう。
カラー。サウンドはピアノによる楽曲。

4:『主婦の一日』(1977, Video, 9min50sec)
画面内にモニターを配置するという、この作家独自の手法が用いられたビデオ作品である。作家本人が、起床・化粧・炊事・洗濯・買い物・就寝など主婦の生活を、定点観測的なビデオカメラの前で演じる。さらに、各シーンの背景セットのなかにはテレビモニターが置かれ、女性を抑圧するものの表象として眼のイメージが映し出される。この画面内モニターの手法とはコンセプチュアルな意図によるものであるといえ、その後の出光のビデオ作品でも追及されてゆく。
記号化された生活パターンを総覧的にみせる構成は、マーサ・ロスラーのビデオ作品『キッチンの記号論』(1975)を連想させる。
カラー。サウンドは同録による環境音のみ。

5:『Something within Me』(1975, 16mm, 9min30sec)
身近な風景やカタツムリなどを被写体とした16mmフィルム作品であり、本作での情感豊かな表現は特筆すべきものがある。このような映像表現は、出光のビデオ作品におけるジェンダーの問題と一見繋がらないように見えるかもしれないが、そうではなく、フィルム作品における作家の身近な風景への視線を社会化したものが、ジェンダーの問題を取り上げたビデオ作品であったとみるべきだろう。
カラー。サウンドは高橋アキによるピアノの即興演奏であり、映像をスコアとして解釈することによって演奏したもの。

作中に表れるイメージは以下の通り。
・水面の反射光
・木の葉と、カーテンに映る木の葉の影
・植物の葉や花弁のクローズアップ
・オブジェのような大量のカタツムリ

6:『英雄チャン、ママよ』(1983, Video, 27min)
ホームドラマ的演出と画面内モニターの手法を組み合わせたビデオ作品。食卓の上に置かれたテレビモニターに映し出される実家暮らしだった頃の、昔の息子の映像。それとの架空の会話を繰り返す母親が、息子の面倒を見るために遂には自分も家を出るまでのストーリーを描いている。
画面内モニターに映し出される息子の姿は、保守的な家族像の虚構性を浮かび上がらせる異物として存在し、モニター内の息子の一挙手一投足に反応する母親の姿と、それに対する父親の無関心は、この状況の空虚さを一層際立たせる。出光の後年の作品におけるホームドラマ的演出とは、テレビなどの大衆メディアで流通している保守的な家族像への疑義を含むものだといえよう。
撮影は、ビデオひろばの発足に関わったカナダ出身のビデオ作家であるマイケル・ゴールドバーグが担当している。
カラー。サウンドは同録によるセリフと環境音のみ。

7:『At Santa Monica 3』(1975, 16mm, 15min30sec)
身近な街の風景を、作家の個人的な視点によって撮影した16mmフィルム作品であり、カリフォルニアの眩しい陽光と、それに照らされた建物や自然物の様子が、ハイコントラストフィルムを使用することで見事に表現されている。ちなみに、今回の映像祭の展示セクションでは、同じくハイコントラストフィルムで東京の雪ヶ谷の庭園を撮影した、『At Yukigaya Two』(1974)も上映されていたのだが、サンタモニカと雪ヶ谷という場所性の違いが表れていて興味深い。前者は眩しく乾燥しており、後者は薄暗いが瑞々しい。
モノクロ。サウンドは、恐らくジョン・ケージによる「String Quartet」(1950)であると思われる。同作品は、以下のレコードに収録されている。
Walter Piston / John Cage – Modern American Music Series

作中のシークエンスは、大まかに以下の順番で進行する。
・サンタモニカの住宅の窓に反射する太陽
・板張りの床に反射する太陽
・木漏れ日
・水面に揺らめく反射光
・風に揺れる木々
・猫
・微速度撮影された雲の流れ
・遠距離からズームショットで捉えられた住宅街
・雨の降りしきる水面と、そこに浮かぶゴミ類
・水面のランダムな反射光(極端にハイキーな撮影によって、半ば抽象化している)
・猫
・植物と、葉の間にちらつく太陽光
・甘いフォーカスで撮影された水面のランダムな反射
・微速度撮影された雲の流れと太陽(レンズの絞りを操作して、徐々に真っ白な画面になるまで飛ばす)
・住宅街の道路
・水面に揺らめく反射光
・針葉樹
・噴水から吹き出す水
・木漏れ日
・微速度撮影された雲の流れと太陽