相原信洋氏作品のデジタル化作業

先日、相模原にある東京国立近代美術館フィルムセンター分館にお邪魔して、相原信洋氏の現存するフィルムのチェックにご協力いただきました。相原氏の作品についての一連の作業は、科学研究費 基盤研究(C)「日本映像芸術の1960-1970年代:その歴史的全体像について」(研究課題番号:15K02184、研究代表者:阪本裕文)の助成のもとで行われています。相原氏の作品は、画・音ネガがセットで揃っているものもありますが、画ネガしかないもの、あるいはプリント(上映用フィルム)でしか残っていないものなどが多数あります。今回は著作権者の方のご理解のもと、科研費課題の枠内で、全てHDデジタル化する予定です。

阪本および知人の映画研究者らの数人がかりで映写機を回し、ラベルを貼り、イマジカに依頼するフィルムを選別するという大わらわな作業になりましたが、何とか時間内に完了しました。その後は、技術員の石川さんの案内で映画保存棟を見学させてもらい、保存のシステムについて勉強させてもらいました。今後も、科研費課題の進捗については、このブログでも報告していきたいと思います。

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ちなみに、フィルムセンター分館の向かいにはJAXAがあるのですが、「星のかがやきカレー」がお勧めです。JAXAに見学に行かれることがあれば是非。
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佐々木友輔『TRAILer』@ イメージフォーラムシネマテーク

福島で引き起こされた原発事故については、報道的なものから実験的なものまで、幾つものドキュメンタリーが制作されてきた。しかし、ここ数年の沖縄の置かれた状況についてはどうか。私の知る限り、そのようなドキュメンタリーは皆無だったと言わざるを得ない。佐々木友輔が監督した『TRAILer』(2016)は、そのような意味で、まず意義深い仕事として記憶されるべきものだと思う。上映は、2016年12月11日にイメージフォーラムシネマテークにて、トークショーとともに行われた。本作は、沖縄在住の美術評論家である土屋誠一の企画により製作されたものである。佐々木と土屋の協働は、2014年の「反戦 来るべき戦争に抗うために」展にはじまるもので、土屋の呼びかけに応じた佐々木は、作品を同展に出品している。今回の『TRAILer』での協働も、映画が沖縄という場所を扱っている以上、「反戦」展の延長線上に置かれるものとなる(「反戦」展については、こちらのレヴューも参照のこと)。

さて、佐々木の映画的な方法論は、代表作である『土瀝青』(2013)によって確立されている(ただし、私が観る機会を持てたのは、2015年の恵比寿映像祭におけるインスタレーション版である。こちらのレヴューを参照のこと)。それは、『略称・連続射殺魔』(1969/1975)の系譜に連なる風景論映画であり、その批判であった。ある場所へ赴き、揺動するカメラと身体の移動によって、その風景を記録する。それによって風景は直接的な身体移動のレベルで再把握され、固定化された風景イメージでは把握され得ない、ひとつの場所として立ち現れる。これは風景を現象学的に生み直す行為だといえるかもしれない。さらに言うと、佐々木の風景論映画がユニークなのは、このような世界(「セカイ」と表記すべきか)と個人との関係に、異物的なテクストがボイスオーバーで挿入されることだろう(諸関係が個人の内面に収束してしまうのを回避させる意図によるものか)。スクリーン上で生成され続ける風景に併置される、歴史的な距離を持った、その場所に関わるテクスト。それは、風景イメージの下層にひそんでいるレイヤーの可聴化である。

その方法論は本作においても踏襲されており、映画は、まず渡具知ビーチのショットから開始される。そして、佐々木はビーチを起点に、沖縄平和祈念公園にある摩文仁の丘に至るまでの沖縄戦のルートを、グーグルマップを頼りに自転車移動によって目指す。生活道路、フェンスと米軍基地、マクドナルド、コンビニエンスストア。揺動する風景が、次々と生成されてゆく。そして、そこに挿入されるテクストは、沖縄戦における、米軍の公式の戦争記録と、断片的な言葉による風景論あるいは観光論である。このテクストは土屋の執筆によるものであり、テクスト内の戦争記録と風景論の割合は、ほぼ半々だったと思う。土屋に事後的に質問したところによると、はじめは映画になるかどうかを一旦保留にしたような状態で、ひとまず誌上予告編となる冊子として、映像(写真)とテクストの組み合わせによる『disPLACEment「場所」の置き換え vol.3』(2015)を作成したという。その際には、撮影とテクスト作成は並行しながら別々に進められた。その作業の結果、なんとか作品になりそうだということで、佐々木がイニシアチブを取って撮影素材を編集し、テクストを朗読する声をボイスオーバーで挿入することを選択したらしい(朗読はカニエ・ナハによる)。映画の最後で、佐々木は摩文仁の丘に到着し、そこを訪れる人々の姿を撮影する。そして、ある一日の歴史を撮影した映画は終わる。

まず、沖縄戦についての歴史的テクストとして米軍側の戦争記録を選ぶというアイデアは、批評的なものであり、高く評価したい。私もつい最近、沖縄戦の戦跡を巡る機会があったのだが、その時に感じた、風景のレイヤーが複数存在している感覚は、この映画から受けた印象に近いものだった。至るところに米軍基地のフェンスがあり、生活道路を曲がると、いきなり病院や避難に使われた豪・ガマに遭遇する、あの不思議な感覚。沖縄戦は、女性や子どもを含む現地住民を軍隊に協力者として取り込む、軍民混在の戦闘であったことが知られている。現地住民の死者数は、3月23日の沖縄戦開始以後、4月から6月の期間にかけて著しく増大してゆく。そして、現地住民たちは南部への後退を続けながら、日本軍の組織的抵抗が終了した6月23日前後をもって、南端の戦地に放り出される。このような過去の出来事を米軍側の記録を用いながら、現在の風景のなかに再布置するという構図は、沖縄戦の特異性を客観視させるうえで、当事者たる戦争経験者の言葉よりも有効であったと思う。ただ、その一方で、風景論=観光論についての言葉は、最後の言葉の配置が、若干ナイーブであるようにも感じられた(ただし、冊子で読むとナイーブな印象はないので、公園内のイメージとの組み合わせによる印象だろうとも思う)。

また、これは深く考えるには至っていないが、土屋は先述の冊子について、ロバート・スミッソンの映画『スパイラル・ジェッティ』(1970)を例に出して、「ノン―サイト」的なものであるという旨の発言していた。この発言は面白いもので、この構図を敷衍するならば、映画としての『TRAILer』を、「沖縄戦」に対する「ノン—サイト」として位置付けることも可能なのではないかと思えた。それは、「特定の場所」と「映画」の関係性を更新するような、大変興味深い視点である。

いずれにせよ、『TRAILer』と題しているのだから、可能であれば、続編となる風景論映画の展開を期待したいところである。沖縄における風景論は、米軍基地移設問題が膠着した現在の状況における、ひとつの批評的なテーマになり得るものだと思う。

トークセッション「ビデオひろばが今日に残したもの」

明日、森美術館で藤井光さん、瀧健太郎さん、近藤健一さんとトークです。よろしくお願いします。

MAMリサーチ004:ビデオひろば――1970年代の実験的映像グループ再考
http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamresearch/index.html

トークセッション「ビデオひろばが今日に残したもの」 ※日本語のみ
本展の調査協力に携わった実験映像研究者の阪本裕文氏と、映像作家の藤井光氏、瀧健太郎氏を迎え、「ビデオひろば」の活動や思想が今日の現代美術、実験映像にどのように継承されているか、考察します。

出演:阪本裕文(稚内北星学園大学准教授)、藤井 光(アーティスト)、瀧 健太郎(アーティスト)
モデレーター:近藤健一(森美術館キュレーター)
日時:2016年12月6日(火)19:00-21:00(受付開始:18:30)
会場:森美術館オーディトリアム
定員:80名(要予約)
料金:無料
お申し込み:こちら

※プログラム開始前(18:30-19:00)およびプログラム終了後(21:00-22:00)、本プログラムにお申し込みいただいた方のみ「MAMリサーチ004」をご鑑賞いただけます。なお森美術館の他の展示はご覧いただけません。

「TONY CONRAD: COMPLETELY IN THE PRESENT」@ Super Delux

2016年11月20日、タイラー・バビー監督によるトニー・コンラッドのドキュメンタリー映画『トニー・コンラッド:完全なる今』が、日本国内で初上映されるということで、六本木Super Deluxに観に行った。今回のイベントは、ライブハウスでの一回きりの開催ということで、ジム・オルークによる「トニー・コンラッドに捧げるライブ」と、『Flicker』の上映に合わせた「フリッカー with 灰野敬二」としてのライブも行われる。2016年4月に亡くなったコンラッドへの追悼イベントといった趣である。当日のプログラムは、オルークのライブ、本編上映、『Flicker』上映+灰野のライブという順番で進んだのだが、ここでは、まず最初に『トニー・コンラッド:完全なる今』についてレヴューしたい。当日のメモを元に、後日細かい情報や制作年を調べなおしたものなので、一部映画との食い違いがあるかもしれない。その点留意して読んでください。


『トニー・コンラッド:完全なる今(TONY CONRAD: COMPLETELY IN THE PRESENT)』(Digital, 95min, 2016 http://www.tonyconradmovie.com

トニー・コンラッド:完全なる今 (日本語字幕版)プレビュー from UPTapes on Vimeo.

・2006年、かつて住んでいたアパートの前で、フィールドレコーディングを行う様子。1996年、「Tabel of the Elements FESTIVAL Vol.2 YTTRIUM」でのコンサート映像。これらを導入としてタイトルへ

・1963〜1965年頃、大学時代にコンピュータを学ぶ。資本主義に組み込まれないために、最低限の貧しい生活をしする。バークレーでラ・モンテ=ヤングに出会い、永久音楽劇場のセッションに参加する(メンバーはヤング、コンラッド、ジョン・ケール、マリアン・ザジーラ、アンガス・マクリース)。コンラッドはヴァイオリンにマイクを取り付けて演奏することを発明する。それによってヤングはサックスではなく、自らの声を楽器として使用するようになる。しかし、永久音楽劇場のセッションを録音したテープを、ヤングが独占してしまう。それによって、コンラッド、ケール達はテープを聴くことすらできず、ヤングとの間に確執が生まれる
・(アメリカの実験音楽レーベル「Tabel of the Elements」のオーナーであるジェフ・ハントが、学生時代にVelvet Undergroundについて書かれた『up-tight』を読み込んでいたという逸話から繋げて)ある日、プロデューサーがやってルー・リードに引き合わされ、Primitivesというロックバンドを即席で組むことになる。コンラッドとケールはギターとベースを渡され、踊る観客の前でロックを演奏した。ちなみに、ドラムはウォルター・デ・マリア。リードは演奏を上手くこなした。まるで詐欺のような気分。そして、ケールがロックの方向へ進み、バンドはVelvet Undergroundになる。まさか、ケールがロックをやるようになるとは思わなかった。そんなことで時間を無駄にするなんて、前衛音楽をやっているのに
・自分は音楽から作曲を取り除きたかった。音楽から離れて、実験映画のシーンに関わるようになる。そしてジャック・スミスの『燃え上がる生物』(1963)のサウンドトラックを制作する。ある日、マリオ・モンテスにレンズのないプロジェクターの光を当ててみたら、面白い効果が得られた。学生時代にストロボ効果の本を読んでいた。そこでパターン配列をフィルムに起こしてコピーライトを取ることにした。『Flicker』(1965)を制作
・ロン・ライスの『Chumlum』(1964)に、ビバリー・グラントがサウンドトラックで参加していた。彼女はスミスの『Normal Love』(1963)にも出演していた。コンラッドとグラントは結婚する。2人でストライプパターンによるフリッカーを起こす『Straight and Narrow』(1970)を制作。この作品のサウンドトラックは、テリー・ライリー&ケールの『Church of Anthrax』(1971)。また、50年かけてペンキの色が変化する「映画作品」として『Yellow Movies』シリーズ(1973〜)を制作
・1969年、シャルルマーニュ・パレスタインは、MoMAの横にある教会(セント・トマス教会?)で鐘を鳴らす仕事をしていた。その鐘の音を聴いたコンラッドは、パレスタインを訪ねて「カリヨンを録音させてくれ」と言ってきた
・コンラッド、スミス、ヘンリー・フリントによるパフォーマンス的なデモ活動のエピソード

・1970年代に入り、オルブライト大学やアンティオーク大学で教員の職につく。アナーキーな講義風景
・フィルムを加工(料理)する作品群を制作する。フィルムを酢漬けにする『Pickled Film』(1974)、フィルムをすき焼きにしてスクリーンに投げつける『7360 Sukiyaki』(1973)など。フィルムをリアルタイムで現像して入れ子状に上映する『Film Feedback』(1974)も、この時期に制作
・サンディエゴ大学でスーパー8を手にして、軍隊をテーマにしたチープな劇作品『Beholden to Victory』(1980)を、トニー・アウスラー、マイク・ケリーと共に制作。ジャンク映画を作りたかった。作品を上映すると、過去の自分の音楽と映画のファンは帰っていた
・バッファロー大学で教員(メディア学?)となる。本人がパフォーマンスする『Your Friend』(1982〜1985)、『In Line』(1986)を制作。テレビのメディア性に着目し、通話によって地域の子供に宿題を教えるビデオ作品『Homework Helpline』(1993〜1997)を制作。メディア批判とメディアアクセスへの介入を意図して、ビデオで人々にインタビューする『Studio of the Streets』(1991〜1993)を制作
・監獄をテーマとする「監獄映画」の制作を思いつき、屋根裏に監獄のセットを作る。囚人としてケリー、アウスラーが出演。16mmで撮影を開始するが、中断。いずれ再開することを目論み、セットをそのまま残しておく。やがてビデオの性能がフィルムと同等になったので制作を再開するが、ケリーが自殺。これ以上制作できなくなる
・バッファロー大学に勤めている時期は辛かった。グラントと離婚し、テッド(息子)はグラントが養育。しかし、グラントが1980年代終わりに病死。テレビモニターを通して息子と話すビデオ作品を制作。息子との仲が修復される。(その後、コンラッドは再婚している)
・コルクボードに汚れた老人用下着を貼り付けた造形作品を制作する様子。皆に呆れられる

・時間は戻り、ヴァイオリンを手にしてドイツに渡って『Outside the Dream Syndicate』(1972)を、クラウトロック集団であるFaustと共に録音したエピソードについて。ヤングから離れたかった
・1993年に「Tabel of the Elements」のハントが、コンラッドの勤務校に電話をかけて来て、『Outside the Dream Syndicate』の再発を打診する。同年、再発CDと、未発表音源を収録した7インチをリリース。1994年、「Tabel of the Elements FESTIVAL Vol.1 MANGANESE」にてコンラッドとFaustのリユニオン・コンサートも行う。このフェスティバルには、灰野敬二やAMM、サーストン・ムーア、オルークも参加
・1964年12月に録音していた音源をハントに送ったところ、『Four Violins』(1996)としてリリースされる。ビブラートは使わない。指を奇妙なポイントに置き、ハーモニクスを起こす
・ヤングは相変わらずテープの権利を独占していた。そこで、過去の形式によって作品をもう一度作り直す『Early Minimalism Volume One』(1997)を制作する。1994〜1996年の期間に録音されたもので、レコーディングエンジニアはオルーク。楽譜のない音楽を目指す
・ハントは、レコーディングエンジニアとしてスティーブ・アルビニを起用することによって、コンラッドの音楽に再びロックの文脈を与えようとする。そうして、『Slapping Pythagoras』(1995)を制作。ギターを弓で弾くことによる強いハーモニクス。オルークとデヴィッド・グラッブスも参加
・再び「Tabel of the Elements FESTIVAL Vol.2 YTTRIUM」でのコンサート映像。60Hzのハムノイズが出るアンプを使って演奏。オルークとグラッブスもGastr Del Solとして、このコンサートで共演したが、オルークは草刈機を演奏するように命じられた
・再び、ヤングとの確執について。ヤングは永久音楽劇場の音源のリリースは認めたが、著作権は自分にあると主張した。作曲者不在の音楽を作りたかったのに。そこで、バッファロー大学にヤングが講演に来た時に抗議デモを行った。すると、不思議なことにオルークが、どこからともなく永久音楽劇場の音源を入手してきた。それを『Inside The Dream Syndicate Volume I: Day Of Niagara (1965)』(2000)としてリリースした。その後もヤングとの論争は続いた
・刑務所のセットと音声によるインスタレーション、『Women In Prison』(2013)の様子。囚人を通常の時間感覚の外側から見つめる。そのほか、サウンドオブジェ作品の展示風景など。恐らくGREENE NAFTALIにおける個展の際に撮影されたもの
・横断歩道で車を指揮するコンラッドの様子。エンディングクレジット

以上、日本では紹介されて来なかった1980年代のコンラッドの活動も含めて、彼の生涯を俯瞰する、良くまとまったドキュメンタリー映画だった。私も知らなかったエピソードがいくつもあり、大変興味深く観た。編集としても、『Outside the Dream Syndicate』の再発以降の音楽活動を最後に持って来たのは、綺麗にまとまりすぎている感もあるが、巧みな構成だった思う。映画についての感想というより、コンラッドの活動履歴についての感想になってしまうが、いくつか思ったことを書き留めておく。

まず、1960〜1970年代に極めて重要な作品を多数制作したコンラッドだったが、彼にとっての1980年代から1993年にかけての時期は、どのような時代だったのだろう。それは少なくとも、映画作家としては混迷期だったと思う。この時代のコンラッドのビデオ作品は日本ではほとんど知られておらず、私も初めて見るものばかりだった。それは初期ビデオアートの焼き直しのような、中途半端な仕事に見える。しかも、大作であったはずの「監獄映画」の制作も思うように進まない。そんな時期に、「Tabel of the Elements」のハントはコンラッドにコンタクトを取り、彼に大きな転機をもたらした。すなわち音楽の側からの再評価の契機を与えたのである。コンラッドのディスコグラフィーを眺めてみよう(http://www.discogs.com/ja/artist/91947-Tony-Conrad)。ヤングが永久音楽劇場のテープを独占してしまったため、1993年に至るまで、世に出たコンラッドのレコードは、Faustとの共作である『Outside the Dream Syndicate』しかなかった。そのため、ハントやオルークのようなマニアが聴きたいと思っても、コンラッドの音楽になかなかアクセスできない、一種の疎外された状態が長く続いていた。そして、コンラッドのレコードが続々リリースされるようになるのは、ハントが『Outside the Dream Syndicate』を再発する1993年以降である。その余波として映画や美術の領域でも、今日に至るまでのコンラッドの再評価が及ぶことになる(私も、その流れのなかで、彼の映画と音楽に触れて来た)。2014年に出版した『Plus Documents 2009-2013』に収録の、オルークや牧野貴らとのトークセッションにも、これに関わる部分があるので引用してみよう。

阪本(S):そういえばジムさん、トニー・コンラッドと一緒に活動していたじゃないですか。
ジム(J):私はいつもトニーの手伝いをしていた。彼が何か欲しい(と言ったら)、「はい、それやります」と。
牧野(M):映画と音楽、どちらから好きになった? 美術でもあるし。
J:もちろん。トニーの作品そういうふうに扱う。映画か音楽、そういうふうに分けられない。
S:トニー・コンラッドの作品で最初に出会ったのは何でした?
J:もちろん、『Flicker』(1965)。長年、彼の映画は知っていた。あの頃は彼の音楽を聴くことが出来なかった。ファウスト(Faust)と一緒にやったのだけだった。見つけにくかった。多分、14~15年間探した。
S:トニー・コンラッドはずっとレコードを出してなかった。テーブル・オブ・ジ・エレメンツ(Table of the Elements)から、ファウストと一緒にやった『Outside the Dream Syndicate』(1973)の再発や、『Slapping Pythagoras』(1995)を出したのが久しぶりで、あの頃からまた演奏を再開した感じですよね。
J:いや、60年代からやっていた。レコードが無くても、よくライブをやってた。あの時、そういう音楽に関しての雑誌が無かった。あの歴史を読むことが出来ない。

オルークによると、ライブは1960年代から続けていたようだが、やはり1993年の転期に至るまでは、コンラッドの音楽には、なかなかアクセスできない状況が続いていた。似たような記述は、アメリカ実験音楽全体の話になるが、グラッブスの著書『レコードは風景をだいなしにする』の中にもあったように思う。この『Outside the Dream Syndicate』をめぐるエピソードは、過去と現在が等価に関係し合う、歴史の循環性を私たちに知らしめるものだ。思えば、ヤングがテープを独占したために発案することになった『Early Minimalism Volume One』もまた、失われたものを再現前させるという意味で、そのような過去との関わり方を実践するものだったのではないか。私には、彼の作家としての人生そのものが、過去と現在の循環によって成り立っていたように思えてならない。それは人間の時間感覚を解体するものとしての、彼の音楽や映画とも通じ合っている。資料価値の大変高いドキュメンタリー映画だと思うので、今後も上映の機会を拡げていってほしい。


最後に、オルークのライブと『Flicker』上映+灰野のライブについて簡単に述べておきたい。

ジム・オルーク+波多野敦子「トニー・コンラッドに捧げるライブ」:
オルークは(恐らく)ヴァイオリン、波多野敦子がヴィオラを演奏。エフェクター類は一切なく、マイクで拾われたそれぞれの楽器のサウンドが、そのまま卓上のミキサーでミックスされる。ミキサーにはWAVプレイヤーも入力されており、あらかじめ作り込んでおいた、多くの倍音を含んだドローンが鳴らされる。そのベーストラックの上で、オルークと波多野は、それぞれ高音域と中音域のドローンを演奏する。楽曲はインプロヴィゼーションではなく、二枚の楽譜として作曲されており、幾つかのパートを繰り返すことで、30〜40分ほどの演奏として展開された。特にオルークは、弓を駒の近くに当てて弾くことで、ノイズを多く含んだ物質的なドローンを発生させており、対して波多野はやや情感溢れる演奏に向かう傾向があったものの、中音域を堅実に支えていた。2008年に横浜トリエンナーレで観た、オルークとコンラッドのコンサートの記憶を呼び起こされた。

灰野敬二「フリッカー with 灰野敬二」:
コンラッドの『Flicker』の上映に合わせて、灰野敬二がハーディーガーディーを演奏した。まず断っておくが、灰野による演奏は、音楽自体としては大変良いものだったと思う。しかし、元々サウンドトラックがついている映画にライブ演奏を付け加えることの意義が、作品のコンセプト的にも、私には全く理解できなかった。作家本人がそのような上映を生前に認めていたのかどうかによるので、私の認識に誤りがあったならば、このレヴューを撤回して書き改めます。

Harry Smith「PAPER AIRPLANES & STRING FIGURES」@Postalco Shop Shibuya & Kyobashi

渋谷と京橋に店舗を構える、ポスタルコという文具や雑貨を扱うショップが、アメリカの実験映画作家であるハリー・スミスの展示会を開催している。スミスは、アメリカのアンダーグラウンド映画の先駆的な世代に属し、錬金術のような怪しさを持った切り絵によるアニメーションや抽象映画で知られる。その一方でスミスは、アメリカのルーツミュージックを収集したレコード『Anthology Of American Folk Music』(1952)の編者としても知られる。このコンピレーションは、1920年代から1930年代にかけてのルーツミュージックを掘り起こし、1960年代のフォークリバイバルに決定的な影響を与えたとされる(このコンピレーションについては、大和田俊之が面白そうな学会発表を行なっている)。そんなスミスの仕事のうち、今回ポスタルコでは、マンハッタンで紙飛行機を拾い集めた「PAPER AIRPLANES」と、世界のあやとりを蒐集した「STRING FIGURES」について、渋谷店と京橋店で、それぞれ写真を展示している(いずれも、カタログがAnthology Film Archivesから出版されている)。このようなスミスの蒐集行為は、シュルレアリスムとエスノグラフィーの関係に通底しているように思える。

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20年以上もかけてニューヨークの路上からあつめた紙ヒコーキは、ハリー・スミスの奇妙なコレクションのほんの一部です。彼のフォークミュージックの録音は、1950-1960年代のフォークミュージックのリバイバルの基礎となりました。また、彼は実験映画の作り手でもありました。ポスタルコ渋谷店では、スミスの紙ヒコーキの写真を展示します。新しい京橋店では、スミスの実験映画を上映します。スミスのことをもっと知るために、どうぞお立ち寄りください。
http://postalco.net/new/index.html

PAPER AIRPLANES at Postalco Shop Shibuya
2016年10月26日(水)- 2017年1月16日(月)
150-0043 東京都渋谷区道玄坂1-6-3 山路ビル3階
T 03 6455 0531

STRING FIGURES at Postalco Shop Kyobashi
2016年11月19日(土)- 2017年1月31日(火)
104-0031 東京都中央区京橋2-2-1 京橋エドグラン1階
T 03 6262 6338

UCLA映画テレビアーカイブ 復元映画コレクション『ザ・コネクション』@フィルムセンター

connectionフィルムセンターで開催されたUCLA映画テレビアーカイブ復元映画コレクションのプログラム枠内で、シャーリー・クラーク(Shirley Clarke)の『ザ・コネクション(The Connection)』(1961)が上映された。クラークは、1960年にジョナス・メカス(Jonas Mekas)の呼びかけにより発足したニュー・アメリカン・シネマ・グループのメンバーでもあり、初期には実験映画を制作していたが、その後、ドキュメンタリーや劇映画を制作するようになる女性作家である。そのクラークによる初の劇映画が本作であり、ストーリーは「ドキュメンタリー映画の撮影」というメタフィクションのなかで展開する。本作の原作はリヴィング・シアターによる同名の演劇であり、演劇版と映画版いずれもジャック・ゲルバー(Jack Gelber)が脚本を担当した。また、リヴィング・シアターの公演におけるキャストは、一部の配役は異なるが殆どそのまま映画のなかでも起用されている。さらに、映画では室内劇としてすべてのプロットを構成しており、その枠組みは極めて演劇的である。このことから本作を考えるにあたって比較対象となるものは、メカスによる『営倉(Brig)』(1964)であることはいうまでもない。メカスの『営倉』もまた、軍隊の営倉における非人権的な抑圧を描いたリヴィング・シアターの演劇を、セットを組んで撮影した映画である。『ザ・コネクション』と『営倉』、これらの作品のコンセプトは極めて近い。これらの作品が目論んだものとは、演劇とドキュメンタリーの越境であったというべきだろう。

次に、ストーリーを説明する。最初にメタフィクションへの導入として、字幕で「この映画は監督が放棄したフィルムを編集して完成されたものである」という旨が示される。そして、ジャンキー達が薄汚いアパートの一室にたむろしている様子が映し出される。その顔ぶれは、この部屋の持ち主である白人A、雑誌を読みふける白人B、黒人C、楽器を質屋に流した白人D、ピアノ奏者の黒人フレディ・レッド(Freddie Redd)、サックス奏者の黒人ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean)、ベース奏者の黒人マイケル・マトス(Michael Mattos)、ドラム奏者の黒人ラリー・リッチー(Larry Richie)である(ジャズの演奏家4名は本物の演奏家であり、4名ともにリヴィング・シアターの演劇版にも出演している)。彼らはジャズと麻薬を題材とするドキュメンタリー映画撮影のために集められた。そして、彼らを撮影するのが、映画監督の白人と、カメラマンの黒人である。会話の内容から、映画監督は撮影のための彼らの麻薬代を負担したことがわかる。そして、彼らはドラッグディーラーである黒人の到着を今や遅しと待ちわびている。ジャンキー達のだらだらした無駄話の合間に、演奏家達はセッションを繰り返す。中盤になり、待ちわびていたドラッグディーラーがやってくる。なぜか彼の横には救世軍のシスターの老婆が同行している。皆は老婆の話を聞き流しながら、トイレで順番にドラッグディーラーから麻薬を打ってもらい、その快感に浸る。しかし、最後の白人Aにだけは麻薬の効果が現れず、彼は自分だけ量を少なくされたとドラッグディーラーを疑う。やがて、救世軍のシスターが部屋を去る。映画監督はドラッグディーラーに何か話をしろと注文をつける。彼は苛立ちながら、自らのリスキーな生活を吐露し、これで満足かと怒鳴る。そして、逆に映画監督に対して「ドラッグ映画を撮りたいのなら自分も麻薬を試すべきだ」と迫る。映画監督はこの要求を受け入れ、自らの身体で麻薬を試すが、その後作品の終わりに至るまで酩酊状態になってしまう。その一方、白人Aはしつこくドラッグディーラーに麻薬をもっとよこせと迫り、セッションのサウンドが鳴り響く中で、遂に大量の麻薬を自らの腕に打つ。それによって白人Aは意識を失い、皆で彼を介抱するはめになる。ここで「ドキュメンタリー映画の撮影」はお開きとなり、演奏家達は楽器を抱えて帰ってゆく。うなされている白人Aを取り囲んだ男達は、重苦しい空気の中に取り残される。映画監督は映画の製作を放棄し、カメラマンにフィルムを託すと述べる。最後に、レコードプレーヤーを抱えた奇妙な男が室内に入ってきて、ジャズのレコードをかけて映画は終わる。

以上がこの映画のストーリーであり、雑然とした会話を積み上げることで、ジャンキー達の袋小路のような生活と閉塞感を表現しているあたりは見事である。しかし、メタフィクションという仕掛けについては味付け程度で、設定上のカメラの位置関係を無視したショットも多々あり、全体的に作り物感が強い。しかし、このアンチ・リアリズム的な感覚こそが本作の醍醐味だろう。この作り物感は舞台上での演劇に通じるものがあり、やはりこの作品は、劇映画というよりも、演劇のドキュメントに近い。また、映画の進行に唐突に割り込んでくるフレディ・レッド・カルテットによる演奏も、音楽ドキュメンタリーのように、長いシークエンスをとって撮影される。演劇と音楽という異なる領域の表現を、メタフィクションという仕掛けを足がかりに、いびつなかたちで映画内で束ねた実験的な作品――本作は、そのように形容することが適当であるように思う。

ちなみに、作中のフレディ・レッド・カルテットは「Freddie Redd Quartet with Jackie Mclean」の名義でサウンドトラック『The Music from The Connection』を録音している(http://www.discogs.com/ja/Freddie-Redd-Quartet-With-Jackie-McLean-The-Music-From-The-Connection/release/2421541)。

書評

『松本俊夫著作集成』の書評と、表象文化論学会ニューズレターに自分で書いた『松本俊夫著作集成』『記録映画(復刻版)』の紹介文のまとめです。

・学習院大学教授・中条省平が読む『松本俊夫著作集成I 一九五三-一九六五』(産経新聞 2016年6月19日)
http://www.sankei.com/life/news/160619/lif1606190027-n1.html

・松本俊夫著作集成刊行に寄せて 越後谷卓司(朝日新聞地方版 2016年6月22日)
http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20160622241310002.html

・『松本俊夫著作集成』(全四巻)刊行開始に寄せて 西村智弘(週刊読書人 2016年9月9日)

・『「記録映画」復刻版』不二出版(表象文化論学会ニューズレター REPRE27)
http://repre.org/repre/vol27/books/02/05.php

・『松本俊夫著作集成I 一九五三─一九六五』森話社(表象文化論学会ニューズレター REPRE28)
http://repre.org/repre/vol28/books/02/05.php