トークセッション「ビデオひろばが今日に残したもの」

明日、森美術館で藤井光さん、瀧健太郎さん、近藤健一さんとトークです。よろしくお願いします。

MAMリサーチ004:ビデオひろば――1970年代の実験的映像グループ再考
http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamresearch/index.html

トークセッション「ビデオひろばが今日に残したもの」 ※日本語のみ
本展の調査協力に携わった実験映像研究者の阪本裕文氏と、映像作家の藤井光氏、瀧健太郎氏を迎え、「ビデオひろば」の活動や思想が今日の現代美術、実験映像にどのように継承されているか、考察します。

出演:阪本裕文(稚内北星学園大学准教授)、藤井 光(アーティスト)、瀧 健太郎(アーティスト)
モデレーター:近藤健一(森美術館キュレーター)
日時:2016年12月6日(火)19:00-21:00(受付開始:18:30)
会場:森美術館オーディトリアム
定員:80名(要予約)
料金:無料
お申し込み:こちら

※プログラム開始前(18:30-19:00)およびプログラム終了後(21:00-22:00)、本プログラムにお申し込みいただいた方のみ「MAMリサーチ004」をご鑑賞いただけます。なお森美術館の他の展示はご覧いただけません。

Harry Smith「PAPER AIRPLANES & STRING FIGURES」@Postalco Shop Shibuya & Kyobashi

渋谷と京橋に店舗を構える、ポスタルコという文具や雑貨を扱うショップが、アメリカの実験映画作家であるハリー・スミスの展示会を開催している。スミスは、アメリカのアンダーグラウンド映画の先駆的な世代に属し、錬金術のような怪しさを持った切り絵によるアニメーションや抽象映画で知られる。その一方でスミスは、アメリカのルーツミュージックを収集したレコード『Anthology Of American Folk Music』(1952)の編者としても知られる。このコンピレーションは、1920年代から1930年代にかけてのルーツミュージックを掘り起こし、1960年代のフォークリバイバルに決定的な影響を与えたとされる(このコンピレーションについては、大和田俊之が面白そうな学会発表を行なっている)。そんなスミスの仕事のうち、今回ポスタルコでは、マンハッタンで紙飛行機を拾い集めた「PAPER AIRPLANES」と、世界のあやとりを蒐集した「STRING FIGURES」について、渋谷店と京橋店で、それぞれ写真を展示している(いずれも、カタログがAnthology Film Archivesから出版されている)。このようなスミスの蒐集行為は、シュルレアリスムとエスノグラフィーの関係に通底しているように思える。

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20年以上もかけてニューヨークの路上からあつめた紙ヒコーキは、ハリー・スミスの奇妙なコレクションのほんの一部です。彼のフォークミュージックの録音は、1950-1960年代のフォークミュージックのリバイバルの基礎となりました。また、彼は実験映画の作り手でもありました。ポスタルコ渋谷店では、スミスの紙ヒコーキの写真を展示します。新しい京橋店では、スミスの実験映画を上映します。スミスのことをもっと知るために、どうぞお立ち寄りください。
http://postalco.net/new/index.html

PAPER AIRPLANES at Postalco Shop Shibuya
2016年10月26日(水)- 2017年1月16日(月)
150-0043 東京都渋谷区道玄坂1-6-3 山路ビル3階
T 03 6455 0531

STRING FIGURES at Postalco Shop Kyobashi
2016年11月19日(土)- 2017年1月31日(火)
104-0031 東京都中央区京橋2-2-1 京橋エドグラン1階
T 03 6262 6338

小杉武久「Music Expanded」@あいちトリエンナーレ2016 愛知県芸術劇場 小ホール

10月22日・23日に名古屋を久しぶりに訪れ、あいちトリエンナーレを見て回った。もちろん目当ては小杉武久の公演「Music Expanded」を観るためである。会場は愛知県芸術劇場地下の小ホールで、両日ともに観客はほとんど満員という盛況だった。また今回のトリエンナーレの展示には、小杉のサウンドインスタレーションも四点出品されていて、まるで小杉武久の回顧展のようであった。以下、その内容をレヴューしておきたい。


Music Expanded #1(10月22日)
1:Micro 1(1961)
マイクを大きな紙で包んで、紙の動く小さな音を聴取するというフルクサス的な楽曲。プログラムの始まりにふさわしい、お馴染みの作品である。2014年東京公演(「フルクサス・イン・ジャパン2014」東京都現代美術館、2014年4月13日〜20日)のレヴューでも概説しているので詳細は省くが、演奏者も2014年公演と同じく浜崎健であり、内容に大きな違いはなかった。

2: South e. v. #2(1962/2014)
「South」という英単語をそのまま発音したり、イントネーションを変えたり、発音記号ごとに細かく分節するなどして、さまざまな方法で発声する作品である。2014年東京公演と同じく『South e. v. #2』として、声をエフェクター、サンプラー、オープンリール・テープレコーダーといった電子機器によって変形する。演奏者も2014年東京公演と同じく、小杉と和泉希洋志である。ただし、今回公演では担当に若干異なる部分があり、2014年東京公演は小杉しか発声行為を行わなかったのに対して、今回は小杉・和泉の両名が発声行為を行なっていた。機材について述べておくと、小杉はBOSSの小型サンプラー(Dr.Sample)を、和泉はモジュラーシンセを用いて、それぞれ自分の声を操作していた。途中から二人によって、声を録音したオープンリールのテープを再生ヘッドに擦り付け、音を歪めるというアクションも行われた。
日常的な言葉から離れて抽象化された音響が、即物的に空間に投げ出されてゆく演奏が続くが、和泉の方がモジュラーシンセによって声を抽象的な電子音に変化させたり、テープによる変形作業を繰り返すなど、エレクトロニクスによる素材加工に集中していたのに対し、小杉の方は発声方法のバリエーションを探ることに集中していたように見える。

3:Organic Music(1962)
人間の呼吸器官を楽器として扱い、任意の時間内で任意の回数の呼吸を行うという楽曲。呼吸器官に準ずる楽器での演奏も可能である。2014年東京公演とは異なり、今回は小杉・浜崎・和泉による同時演奏であり、小杉はアコーディオン、浜崎はラムネ菓子の口笛、和泉はビーチボールを使用する。
引き伸ばされた呼吸が別の呼吸と重なりながら、時間の余白のなかに配置されてゆく。演奏者が増えることで、作品のコンセプチュアルな性格よりも、音響的な複雑さが強調されていたように思う。
以下はGettyがオフィシャルで公開している同作の演奏記録。この日の演奏とは使用楽器も何もかも違うが、参考まで。

4:Violin Improvisation
小杉による、電気ヴァイオリンの即興演奏。エフェクターも使用されたようだが、派手に原音を加工するような使い方はしない。短いアタック音によって静寂の中に音を刻んでゆくような即興演奏が、張り詰めた緊張感のなかで行われた。ここでは、自分自身の直前の演奏がエンバイラメント的なものとして聴き取られているといえるだろう。
小杉の即興演奏は、フリージャズを出自とする演奏者とのセッションを含めて幾つもレコードになっているが、どうしてもタージ・マハル旅行団のイメージが強いためか、小杉の即興演奏それ自体についての批評が充分行われてきたとは思えない。フリージャズと現代音楽の共通性を考察する言説は、もはや過去のものとなって久しいが、小杉によるチャーリー・パーカー論をはじめとするテクストなどを参照しながら、小杉の即興演奏の取り組みを再論する必要は絶対にあるだろう。

5:Op. Music(2001)
客席からは機材が確認できないので、音を生成する構造がはっきりと分からないが、解説によると光に反応する電子音の発振器と、その音信号を光(ライトの電圧ボリューム?)に変換する回路を組み合わせた、フィードバック・システムを持つ作品のようだ。2012年東京公演(「回路」東京国立近代美術館、2014年9月1日)でも小杉・和泉によって演奏されたが、今回の演奏者は和泉とGuilty Cの二人である。二人はライトを手に持ちながら、エレクトロニクスを操作する。Guilty Cことギルティ・コネクターは、ノイズミュージック界隈では昔から知られた作家であるが、2015年神戸でのデヴィッド・チュードア作品上演(「レインフォレストI コンサート」横尾忠則現代美術館、2015年5月23日)で、小杉・和泉と一緒にチュードアの『Rainforest』を演奏して以降、小杉のコンサートをサポートする関係にあるようだ。
演奏自体は勢いのあるハーシュノイズが展開されており、他の小杉作品に見られる電子音の物質性とは違った方向性が出ていた。以下はGettyがオフィシャルで公開している同作の演奏記録。参考まで。

6:Film&Film #4(1965)
16mm映写機のランプ光によって紙製のスクリーンを照らし出し、このスクリーンを鋏によって切り開いてゆくという、音楽の要素がない、拡張映画的な作品。演奏者はもちろん小杉である。2014年東京公演のレヴューでも概説しているので詳細は省くが、その時と今回で違いがあるとすれば、紙製のスクリーンが上手く切れず、途中から手でスクリーンを破っていた事だろう。おそらく作家にとっても想定外の出来事だったと思うが、ひとつのハプニングとして興味深く観た。
また今回、個人的に気がついた点としては、飯村隆彦のフィルム・パフォーマンスとの類似性がある。制作年からいって、飯村による1963年の『Screen Play』との影響関係が知りたいところである。


Music Expanded #2(10月23日)
1:Walking(1982)
束ねた竹の棒にコンタクトマイクを取り付け、これを床や壁などに接触させ、その際に発生した物音を大音量で増幅させる作品。2012年東京公演でも同シリーズの作品が、小杉・和泉と高橋悠治によって演奏された。今回は、小杉による演奏である。
小杉がステージに登場する以前の、舞台袖の段階から演奏は開始されており、ガリガリとした接触音が大音量で会場に響く。やがて会場に現れた小杉は、床を竹の棒で触れながら歩き、次に客席前方の壁にも触れて、発生する音の性質を探ってゆく。しかし途中でハプニングがあり、竹の棒からマイクが外れてしまうという出来事が起こった。しかし、小杉はその後もコンタクトマイクを引きずりながら歩き続け、時折身を回転させてコンタクトマイクを宙に浮かび上がらせたりするという、臨機応変なパフォーマンスを見せた。

2:Anima 7(1964)
日常的な動作を6分間に引き伸ばすというフルクサス的な作品で、音楽の要素は皆無。演奏者は小杉・浜崎・和泉・Guilty Cであるが、小杉はパフォーマンスを行わず、時計を手にして、1分ごとに時間をカウントするのみである。
浜崎はジャケットの襟を開き、和泉は椅子に座って冊子を読み、Guilty Cは雨具のズボンを履くという行為を、極めてゆっくりと行った。

3:Anima 2 / Chamber Music(1962)
複数の穴がある大きな布袋に演奏者が入り、その中から身体の一部分を外に出す。さらに、袋の中に楽器を持って入り、演奏を行うことも可能という作品。2012年東京公演でも高橋によって演奏されているが、今回の演奏者は小杉であった。
小杉は、コンビニのビニール袋とカップ麺のようなレトルト食品を持って袋に入っており、袋から手を出したりしながら、それを振って演奏していた。高橋の演奏と比較すると、ビニール袋の鳴る音が音楽的ですらあった。

4:Mano-Dharma, electronic(1967-)
小杉の代表作であるが、2014年東京公演の際には同じ内容の作品が「Catch Wave」として、小杉・和泉によって演奏されていたはずである。そもそも「Catch Wave」とは「Mano-Dharma」から発展した作品を指すものなので、あまりタイトルを厳密に区別する必要もないのだろう。基本的に「Mano-Dharma」を含めた「Catch Wave」シリーズのコンセプトとは、電波発振器とラジオ受信機の間で起こる周波数干渉作用の距離による変化を聴き取るものであり、今回の演奏では発振器はターンテーブルの上に置かれたり、竹竿に結んだ糸の先に付けられたり、自転車の車輪に取り付けられたりする。今回の演奏者は和泉・浜崎・Guilty Cである。
Guilty Cはターンテーブルを、和泉は主に竹竿を担当して、混沌とした電子音を発生させる。そして、しばらくすると2014年東京公演と同じく、浜崎が自転車で会場に突入してくる。彼が漕ぐ自転車の運動と結びついた偶発的な電子音は、和泉・Guilty Cの電子音に絡まりながら空間を疾走していった。

5:Music for Nearly Ninety, part A(2009)
2009年4月に初演された、マース・カニングハム舞踊団の作品「Nearly Ninety」のための作品の一部である。2012年東京公演でも、小杉によって演奏された。解説によると、7つのLEDによる明滅を光センサーで受けて、その信号を発振器に送ることで電子音を生成しているらしい。さらに、この作品でも音信号を光に変換する回路を組み合わせることで、フィードバック・システムが組まれているようだ。演奏者は2012年東京公演と同じく小杉であり、小箱の蓋に触れながら、エレクトロニクスを操作する(小箱の暗闇の中に置かれたLEDの光量を変化させているのだろう)。客席からは確認できなかったが、2012年の機材と同じだとすれば、センサー類の他に、BOSSのピッチシフター/ディレイやイコライザー等のエフェクターが用いられていたはずである。
LEDの明滅に反応した激しいパルスのダイナミックな変化の連続は、チュードアの『Rainforest』と同じく、プリミティヴな電子音の物質性を感じさせる。個人的に、今回のプログラムで最も感銘を受けたのがこの演奏であった。

6:Catch-Wave(1967-)
「Mano-Dharma」および「Catch Wave」シリーズについては、『Catch Wave』(CBS/Sony、1975)のジャケット裏面の解説、『Catch Wave’97』(Super Fuji Discs、2007)の川崎弘二によるライナーノート、ジャズ批評17号に掲載された小杉本人のテクストが参考になる。特にジャズ批評17号では、今回の「Mano-Dharma」の演奏で用いられていた干渉作用を利用する手法に加えて、任意の楽器演奏(およびそこに付与されるエコー)の音信号に低周波の電圧をかけて、倍音をコントロールして音色を変化させる手法(すなわちVCF)についても細かに説明されている。今回の演奏の基本的な手順もこれに沿っているようで、電気ヴァイオリンや声の音信号に低周波をかけて、音色にゆっくりとした上昇と下降を生み出していたようだ。もちろん今回の演奏者は小杉である。
小杉は、波の映像を背後のスクリーンにプロジェクションしながら、電気ヴァイオリンを弾き、声を発する。それらの音はエコーで引き伸ばされ、上昇と下降を繰り返すなかで、ひとつの波となり空間を満たしていた。演奏の印象としては比較的アンビエントだったので、『Catch Wave’97』に収録された演奏(水戸芸術館現代美術センター、1997年9月20日)に近かったように思う。複数の波が影響し合うことで生成された音の奔流に、演奏者が即興的に反応してゆく過程は、まさに小杉の音楽の真髄であるといえるだろう。


加えて、名古屋市美術館に展示されていた、四点のサウンドインスタレーションについても、簡単にレヴューしておきたい。インスタレーションでは、光と音を同じ波とみなして、ささやかなエレクトロニクスでこれを交換するという小杉の音楽的なコンセプトが、演奏者の存在を欠いた状態で実現されることになる(「イルミネイティッド・サマー」「ライト・ミュージックII」)。これは、人間によって演奏される楽曲と比較して、インスタレーション作品が、欠如を抱えた不完全で余技的なものであることを意味しない。むしろ、小杉の音楽においては、演奏者も、環境化されたフィードバック・システムの一要素にすぎないのである。小杉のインスタレーション作品に注目することによって、私たちは小杉の音楽における演奏家の存在理由を確認することができるのだ。

イルミネイティッド・サマー(1996/2016)
音光変換器、ハンドメイド発振器、アンプ、スピーカー、CDSセンサー、電球、他
・階段の踊り場の上部に、ひっそりと設置されたインスタレーション。赤と青の電球が明滅しており、その光を4つのセンサーで受けて、発振器から明滅に応じたチープな電子音を鳴らす。

点在(1980/2016)
ハンドメイドクリック音発振器、ピエゾ発音体、9V乾電池
・白い空間の壁に、5つのユニットに分かれた計26個の発音体・基板・電池が貼られている。発振による断続的な信号は、羽虫のように壁に点在する発音体から、虫の鳴き声のようなクリック音を間欠的に鳴らす。

75文字と即興(1987/2016)
スピーカー、アンプ、CDプレーヤー
・「点在」の設置された部屋の中央に、天井から小さなむき出しのスピーカーが吊るされている。そこから微小な音量で、音声詩のような、電子変調された声が鳴らされる。無音の時間が多く、注意しないと音に気がつきにくい。

ライト・ミュージックII(2015)
ハンドメイドサウンド発振器、ピエゾ発音体、スピーカー、太陽電池、9V乾電池、他
・天窓から陽光が差し込む空間。机の上に20個程度のユニットが、コップや缶とともに置かれている。その上からは半透明のビニールが掛けられている。ユニットのうち、小型スピーカーに繋がっているのは2〜3個程度で、その他はピエゾ発音体に繋がっている。スピーカーおよび幾つかのピエゾ発音体からは太陽光をセンサーで拾うことで発振した持続する電子音が、残りのピエゾ発音体からは「点在」と同じクリック音が鳴らされる。この2種類の音が、コップや缶といった構造体の影響を受けながら、ひとつの音楽を生成する。

10+1 web site 「均質化される視線」

10+1 web siteに、「均質化される視線」と題した文章を書きました。吉見俊哉氏の『視覚都市の地政学―まなざしとしての近代』の刊行に合わせた、「都市・映像・まなざしの地政学」という特集の一部となります。よろしくお願いします。

「均質化される視線」
http://10plus1.jp/monthly/2016/09/issue-03.php

展覧会予告「MAMリサーチ004:ビデオひろば――1970年代の実験的映像グループ再考」

MAMリサーチ004:ビデオひろば――1970年代の実験的映像グループ再考
会期:2016年7月30日(土)-2017年1月9日(月・祝)
主催:森美術館
企画:近藤健一(森美術館キュレーター)
協力:中谷芙二子、阪本裕文(稚内北星学園大学准教授)
会場:森美術館
開館時間:10:00-22:00(火曜日のみ、17:00まで)
http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/mamresearch/index.html

「ビデオひろば」は1972年に結成された日本の実験的映像グループです。中谷芙二子、山口勝弘、かわなかのぶひろ、小林はくどう、松本俊夫、萩原朔美、和田守弘ら、多数のアーティストやクリエーターが参加しました。当時最新のメディアであったビデオをコミュニケーションのツールとし、メンバーが協働して社会運動に介入したり、ビデオを介して一般市民の議論を促進するなどその活動は、既存のマスメディアに対するオルタナティヴなメディアの創造を目指した、ユニークなものでした。また、会報誌を発行し言説形成や活動報告を行い、ビデオカメラ等の機材を安価で貸し出すなど、実験的な試みも行いました。グループ解散後も、メンバーの多くは作家活動を継続し現代美術に大きな影響を与えました。
本展は、「ビデオひろば」の主要メンバーの映像作品に加え、写真、テキスト、書籍、資料等も多数展示し、その活動を今日の視点で再検証する試みです。


思えばここ数年で、写真美術館が恵比寿映像祭の枠内で「ビデオひろば」の作家たちや「ビデオアース東京(中島興)」を取り上げ、文化庁メディア芸術祭で飯村隆彦が功労賞を受け、東京国立近代美術館がリプレイ展で造形作家の映像作品(フィルムおよびビデオ)を取り上げ、国内のビデオアートをめぐる歴史的な掘り起こし作業も進んできた感がありますが、ようやくビデオアートの様々な要素を集約していたといえる代表的なグループ「ビデオひろば」の特集が、MAMリサーチの第4回として、森美術館で開催されます。
私は今回、資料提供その他で協力しました。ちょうど2006年に名古屋で開催した「初期ビデオアート再考」展から10年目ということもあり、今回の展示に関わって一区切りついたような気がしています。展覧会の会期も長いので、何かのついでによろしくお願いします。

「ビデオひろば」の簡単な解説は下記を参照のこと。
「ビデオひろば」Artwords(アートワード)

出版予告『松本俊夫著作集成 Ⅰ 一九五三 ─ 一九六五』

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松本俊夫著作集成Ⅰ 一九五三 ─ 一九六五
松本俊夫[著]
森話社
A5判/616頁
本体6000円(+税)
http://www.shinwasha.com/096-8.html

日本実験映画界の重鎮であり、理論面においても前衛芸術運動を牽引した映像作家・松本俊夫の著作を網羅した集成(全四巻)。芸術的闘争の歴史的記録であるとともに新たな発見の書。

「私の過去六冊の評論集と、単行本には掲載されていない多量の発掘文を混ぜ合わせて、それらを編年史的に目次化したのがこの著作集成(全四巻)である。著者としてはここから視座の広域化や多層化が浮上し、各種の関係レベルでの新発見が、多角的かつ活発に生まれてくることを期待してやまない。」────松本俊夫

Ⅰ巻では『記録映画』や『映画批評』等の雑誌に掲載された、1953年から1965年までの松本の著作を収録し、『映像の発見』(1963)と『表現の世界』(1967)に再録された論文の初出に加え、「作家の主体ということ」「疑似前衛批判序説」をはじめとした、単行本未収録の論文・記事を含めた全124本を収録。本巻によって芸術と政治の狭間にあった松本俊夫が、アヴァンギャルドとドキュメンタリーの統一をいかに模索していったのか、その過程が明らかになるだろう。


収録されるテクストは、以下の通り。[a]は第一著作集『映像の発見』に収録のテクスト(全29本)で、[b]は第二著作集『表現の世界』に収録されたもののうち、1965年までに発表されたテクスト(18本)となる。よって、本書に収録されたテクスト124本のうち、77本が既発著作集に未収録ということになる。
また、本著作集成は、既発著作集に収録されたテクストを含め、初出を底本とする基本方針をとっており、Ⅰ巻では122本が初出となり、初出の存在を確認できなかった[*]の付いた2本のみが再録に拠っている。さらに参考というかたちで、高校の部活動会報に書かれた「趣味之王郵便切手蒐集」(1948)と、卒業論文「ヘーゲル美学に於ける主観と客観の関係」(1954)より、「問題提起」の部分を収録した。
第一著作集『映像の発見』と第二著作集『表現の世界』に収録されたテクストが、この時期に発表された松本の著作物のうちの半分以下に過ぎなかったということは、ある世代以降に読まれてきた「松本俊夫」像が一面的なものであったことを示すものだといえる。そこから抜け落ちたテクストには、政治的なものや、芸術運動に関わるものや、美術批評に関わるものなど、重要なものが多数含まれていた。その広範なテーマを持つテクスト群は、当時の映画や芸術の状況を、松本を通すかたちで浮かび上がらせる。そして、映画に限っていえば、このテクスト群は、典型的なシネフィルの歴史観に対する異物として機能するだろう。このことは、次巻以降でより明白となるはずだ。

【目次】
[Ⅰ 一九五三─一九六〇]
現実に密着した美術を──ニッポン展評
作者内部の概念規定が曖昧──武井・針生論争
『銀輪』
「作家の自主性のために」に対して
『マンモス潜函』を完成して
作家の主体ということ──総会によせて、作家の魂によびかける
a 前衛記録映画の方法について
私達の苦しみとその解決の道(一)
私達の苦しみとその解決の道(二)
書評──花田清輝著『映画的思考』
作品研究──『忘れられた土地』
a映画のイマージュと記録──シンポジュームのための報告
迫りくる危機と作家の主体──警職法改悪に私たちはいかに対決するか
複眼のドラマ意識──ポーランド映画『影』
日本の現代美術とレアリテの条件
倒錯者の論理──主体論の再検討のために(1)
a 「敗戦」と「戦後」の不在──主体論の再検討のために(2)
新しいプロパガンダ映画──映画『安保条約』をめぐって
記録映画の壁──内部につき刺す表現とそれを拒む根強い保守主義
カナリヤに歌を
a 芸術的サド・マゾヒストの意識──もしくは創作の内的過程と芸術的効用性について
a 隠された世界の記録──ドキュメンタリーにおける想像力の問題について
超記録主義の眼──中国の現実と芸術・Ⅰ
美術映画の驚異──中国の現実と芸術・Ⅱ
政治的前衛にドキュメンタリストの眼を──1960年6月の指導部の思想をめぐって
残酷と現実否定のイメージ
a 残酷をみつめる眼──芸術的否定行為における主体の位置について
映画技術を最高に駆使した──『白い長い線の記録』

[Ⅱ 一九六一─一九六三]
疑似前衛批判序説
a モダニズムとクリティック
b 「バラの蕾」とはなにか──『市民ケーン』とオーソン・ウェルズ
琉球の祭りについて
荊の道に抗して──自作を語る
現代時評
三人のアニメーション
個々のぶつかり合いによる運動の最小単位を
a 変身の論理
a 大衆という名の物神について
意外性のドラマトルギー──勅使河原プロ『おとし穴』
巨視的な未来の透視──花田清輝著『新編映画的思考』
書評──小川徹著『大きな肉体と小さな精神──映画による文明論』
『太陽はひとりぼっち』──ミケランジェロ・アントニオーニ監督
a 肉を切らせて骨を切れ──あなたの中のA君に宛てて
映画運動の思想と責任──記録映画への批判にこたえて
反教育的教育論
b 安部公房氏のアイ・ポジション
アンチ・テアトル上演の意義──イオネスコ作・表現座公演『アメデーまたは死体処理法』
映画創作のための連続講座──第二講・テーマとモチーフ
技術は向上、内容は低下──三人のアニメーション・3
形にならない形への模索──滝口修造著『点』
書評──滝口修造著『近代芸術』
a 映像・二つの能力──「見つける」ことと「作る」こと
a 「記録の目」の問題──対象のドラマを“模索”する
a もう一つの現実──「心のうごめき」を映像化する
a 「もの」との対決とは──外界、内界を結ぶヘソの緒
a 説明性を排除して──映像による直接的な表現
a イメージの深さ──生理的刺激と精神的刺激
a 「音」と映像の対話──補助手段としての音の否定
a 表現をささえるもの──主体の燃焼と主題の深さ
a 日常の中の異常──内面化した人間解体のドラマ
a 意識と無意識の間──目に見えない世界を見ること
a あるがままの存在──事実のドラマから存在のドラマへ
a 思索する映像──「見る」ということの意味
a 可能性と障害と──名馬はいるがばくろうがいない
作品構造論に特色──浅沼圭司著『映画美学入門』
「動き」と「音」
a 追体験の主体的意味──『二十四時間の情事』について
自作を語る『石の詩』
欲求不満
偽造された歴史──日本共産党四十周年記念映画『日本の夜明け』批判
根深い歪みの変革を──大島渚著『戦後映画──破壊と創造』
a 凝視と日常性──大衆社会状況下のリアリズム・その一
a ドラマの無いドラマ──大衆社会状況下のリアリズム・その二
a 存在の形而上学──大衆社会状況下のリアリズム・その三
下半身と上半身──映画『女と男のいる舗道』『審判』
a 運動の変革
青芸ヘ──その先の課題
ルイ・マルの『鬼火』と消えることのない疵
b 映画批評の貧困──俗流政治主義、エセ戦闘性
イオネスコとメタフィジカル・ドラマ
a* ネオ・ドキュメンタリズムとは何か

[Ⅲ 一九六四─一九六五]
b 本能と外界の接点を抉る──『にっぽん昆虫記』(日活)
書評──武井昭夫著『創造運動の論理』
b 文学における「戦後」の超克
映像作家のみた西陣
隠れた部分へのアプローチ──ピランデルロへの手紙
人間性の回復──『去年マリエンバートで』を見て
基本方針案提起
劇団の堕落について
端正な冒険──『六人を乗せた馬車』について
b ベケットの世界──もしくは猶予の悲惨さについて
舞台のための覚え書
絶望のドラマ
対話を回復するために──ある劇作家集団を結成するにあたって
b 示唆的な空間論と時間論──中井映画理論に内蔵されているもの
事件の本質は何か──日共の裏面の動きに眼をむけよ
書評──針生一郎著『われらのなかのコンミューン』
b 破壊の美学──白南準作品発表会について
b アンデパンダン64──カオスの中のイメージ
事実はこうだった──石堂論文「岩崎昶氏と紅閨夢」への補足
未知の空間への挑戦
b 現実と人間の条件
可能性の世界──アニメーション・フェスティバルの試み
忘却と責任と──映画『パサジェルカ』をみて
b 血の形而上学
ドラマトゥルギー以前
偶然と選択の詩
疼く痛み鋭い思想性──変革を死にものぐるいで求めているドラマの世界
芸術運動とはなにか──「現代詩の会」解散をめぐって
b 差別からの自由とは何か──黒人解放を自己の自由と結びつける作家の意識を
映像の記録性について──ドキュメンタリーにおける事実主義の克服のために
b 精神的飢餓感の表現──アルビーの『バージニア・ウルフなんかこわくない』の評
意味と表現の分裂──安部公房『おまえにも罪がある』評
b 小川徹論──「裏目読み」の功罪
大型変圧器を運ぶ
総括(及び今後の方針)のために
b 真の戦争ドラマとは何か
b* 迷路の中の他者
b シジフォスの祭典──アンデパンダン・アート・フェスティバル
一条の綱を手ばなさず対立物をとことんかみあわせる──花田清輝著『恥部の思想』
b 愛と自由は可能か──『8 1/2』と『赤い砂漠』をみて
『瀕死の太陽』製作意図
日本的エロスの原像──『水で書かれた物語』
現代の映像──イタリアンリアリズム以後のドラマの状況

上映会予告『サイモン・フィッシャー・ターナー+牧野貴』『Sound Screening Vol.4』『混沌が意味するもの──松本俊夫アヴァンギャルド映像特集上映』

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サイモン・フィッシャー・ターナー来日スペシャルイベントDAY2:サイモン・フィッシャー・ターナー×牧野貴『無題/新作』上映 併映:『BLUE ブルー』

 映画監督デレク・ジャーマンの多くの作品で音楽を手がけた作曲家サイモン・フィッシャー・ターナーが、5月21日(土)~22日(日)に新国立劇場で上演される高谷史郎(ダムタイプ)ディレクションによるダンス公演『CHROMA(クロマ)』で音楽監督を務めるため来日します。それに先立ち、アップリンクでは、サイモン・フィッシャー・ターナーのイベントを催します。
 5月19日(木)は、映像作家・牧野貴の作品にあわせて、サイモン・フィッシャー・ターナーがライブで演奏する、新作発表イベントを行います。また、イベントの前にはサイモン・フィッシャー・ターナーが音楽を担当したデレク・ジャーマンの遺作である、74分間の青一色だけの映画『BLUE ブルー』を上映します。

・『無題/新作』(2016年/35分/1:1.85/カラー)
映像:牧野貴
演奏:サイモン・フィッシャー・ターナー

日時:2016年5月19日 19:30開場 20:00開演
会場:渋谷UPLINK FACTORY(1F)
料金:前売2,800円 当日3,000円
定員:55名
http://www.uplink.co.jp/event/2016/44036/


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Sound Screening Vol.4「ある瞬間を別の視点から同じように理解することは可能か?」

 視覚と聴覚の拡張を試みるイベントの第4回目。実験的手法とドキュメンタリーを組み合わせ、独自の世界を作り上げるドイツのフィリップ・ヴィトマンを迎えて。外部から観測する者には感じることのできない架空の力を題材に、経験を共有することの難しさについて言及した最新作を含む、世界中で反響を呼んだ3作品(全て日本初公開)を上映。光学実験を手元で展開していく田巻の映像ライブに加え、bikiと神田聡のデュオによる、物と現象を配置し空間を構築するパフォーマンスを予定しています。

・田巻真寛
・biki + 神田聡
・フィリップ・ヴィトマン
 『Destination Finale / 最後の行方』(2008, 8mm/Beta SP, カラー, ステレオ, 9分)
 『A/M Spring Version』(2012, 16mm, モノクロ, 無声, 3分)
 『Fictitious Force / 見かけの力』(2015, Super 16/35/DCP, モノクロ, Dolby Digital 5.1, 15分)

日時:2016年5月22日 15:30開場 16:00開演
会場:space dike http://spacedike.blogspot.jp
料金:1,500円+1ドリンクオーダー
http://shinkantamaki.net/sound-screening-vol-4/


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『混沌が意味するもの──松本俊夫アヴァンギャルド映像特集上映』

 日本実験映画のパイオニアにして、理論面でも前衛芸術運動を牽引した映像作家・松本俊夫の著作活動を網羅した集成『松本俊夫著作集成』(阪本裕文=編 全四巻、森話社)の刊行開始を記念して、松本俊夫監督の記録映画・実験映画・ビデオアートを特集上映する。日本が世界に誇るアヴァンギャルド映像作家・松本俊夫の実験映像作品を全時代にわたって総特集!大阪万博でのパフォーマンス記録『スペース・プロジェクション・アコ』をはじめ、激レア発掘も含めてHDリマスター版で一挙公開。トークゲストには、美術作家・石田尚志、松本作品の音楽を多数手がけた作曲家・湯浅譲二ら豪華ゲストが登場。
 アヴァンギャルドとドキュメンタリーの統一を模索した『西陣』(1961)や『石の詩』(1963)などの初期の前衛記録映画をはじめ、3面マルチプロジェクションを使った『つぶれかかった右眼のために』(1968)、ビデオ変換装置「スキャニメイト」を日本で初めて使用したビデオアート『モナリザ』(1973)や、圧倒的な視覚のサイケデリアを展開する『アートマン』(1975)、『色即是空』(1975)などの名作はもちろんのこと、今回は大阪万博「せんい館」でのマルチ・プロジェクション『スペース・プロジェクション・アコ』(1970)、現段階での最新作『蟷螂の斧(第三部 万象無常)』(2012)など、上映機会の少ない8mmフィルム作品や新発見作品も一挙公開。それぞれの時代で4つのプログラムを構成した。オリジナルフォーマットがフィルムの作品は、すべて最新のHDデジタルリマスター版で上映。

日時:2016年5月28日〜6月3日
会場:渋谷UPLINK FACTORY(1F), X(2F)
料金:1回券1,500円/トーク付上映1,800円、2回券2,400円(トーク付の回は1枚あたり+ 300円で入場可)、5回券5,500円(トーク付の回も使用可)
http://www.uplink.co.jp/movie/2016/44015/

5月28日(土)
・16:00開場/16:10上映【Dプログラム】
・18/20開場/18:30上映【Aプログラム】ゲスト:阪本裕文(稚内北星学園大学准教授)、江口浩(映画研究者)、佐藤洋(映画研究者)
5月29日(日)
・16:00開場/16:10上映【Bプログラム】ゲスト:西嶋憲生(多摩美術大学教授)、平沢剛(映画研究者)、阪本裕文
・18:50開場/19:00上映【Cプログラム】 ゲスト:石田尚志(美術・映像作家)、西村智弘(美術・映像評論家)
5月30日(月)20:50開場/21:00上映【Aプログラム】
5月31日(火)20:50開場/21:00上映【Bプログラム】
6月1日(水)19:20開場/19:30上映【Uプログラム《湯浅譲二音楽作品特別プログラム》】ゲスト:湯浅譲二(作曲家)× 川崎弘二(電子音楽研究者)
6月2日(木)20:50開場/21:00上映【Cプログラム】
6月3日(金)20:50開場/21:00上映【Dプログラム】


今月中旬から来月にかけては、近しい作家らのイベントと、自分が関わっているイベントが集中して開催されます。どれも必見かと思いますので、よろしくお願いします。松本俊夫特集上映とフィリップ・ヴィトマン作品については解説も書きましたので、こちらもよろしく。

・『混沌が意味するもの──松本俊夫アヴァンギャルド映像特集上映』(PDF版)
・『Sound Screening Vol.4』(PDF版)