「TONY CONRAD: COMPLETELY IN THE PRESENT」@ Super Delux

2016年11月20日、タイラー・バビー監督によるトニー・コンラッドのドキュメンタリー映画『トニー・コンラッド:完全なる今』が、日本国内で初上映されるということで、六本木Super Deluxに観に行った。今回のイベントは、ライブハウスでの一回きりの開催ということで、ジム・オルークによる「トニー・コンラッドに捧げるライブ」と、『Flicker』の上映に合わせた「フリッカー with 灰野敬二」としてのライブも行われる。2016年4月に亡くなったコンラッドへの追悼イベントといった趣である。当日のプログラムは、オルークのライブ、本編上映、『Flicker』上映+灰野のライブという順番で進んだのだが、ここでは、まず最初に『トニー・コンラッド:完全なる今』についてレヴューしたい。当日のメモを元に、後日細かい情報や制作年を調べなおしたものなので、一部映画との食い違いがあるかもしれない。その点留意して読んでください。


『トニー・コンラッド:完全なる今(TONY CONRAD: COMPLETELY IN THE PRESENT)』(Digital, 95min, 2016 http://www.tonyconradmovie.com

トニー・コンラッド:完全なる今 (日本語字幕版)プレビュー from UPTapes on Vimeo.

・2006年、かつて住んでいたアパートの前で、フィールドレコーディングを行う様子。1996年、「Tabel of the Elements FESTIVAL Vol.2 YTTRIUM」でのコンサート映像。これらを導入としてタイトルへ

・1963〜1965年頃、大学時代にコンピュータを学ぶ。資本主義に組み込まれないために、最低限の貧しい生活をしする。バークレーでラ・モンテ=ヤングに出会い、永久音楽劇場のセッションに参加する(メンバーはヤング、コンラッド、ジョン・ケール、マリアン・ザジーラ、アンガス・マクリース)。コンラッドはヴァイオリンにマイクを取り付けて演奏することを発明する。それによってヤングはサックスではなく、自らの声を楽器として使用するようになる。しかし、永久音楽劇場のセッションを録音したテープを、ヤングが独占してしまう。それによって、コンラッド、ケール達はテープを聴くことすらできず、ヤングとの間に確執が生まれる
・(アメリカの実験音楽レーベル「Tabel of the Elements」のオーナーであるジェフ・ハントが、学生時代にVelvet Undergroundについて書かれた『up-tight』を読み込んでいたという逸話から繋げて)ある日、プロデューサーがやってルー・リードに引き合わされ、Primitivesというロックバンドを即席で組むことになる。コンラッドとケールはギターとベースを渡され、踊る観客の前でロックを演奏した。ちなみに、ドラムはウォルター・デ・マリア。リードは演奏を上手くこなした。まるで詐欺のような気分。そして、ケールがロックの方向へ進み、バンドはVelvet Undergroundになる。まさか、ケールがロックをやるようになるとは思わなかった。そんなことで時間を無駄にするなんて、前衛音楽をやっているのに
・自分は音楽から作曲を取り除きたかった。音楽から離れて、実験映画のシーンに関わるようになる。そしてジャック・スミスの『燃え上がる生物』(1963)のサウンドトラックを制作する。ある日、マリオ・モンテスにレンズのないプロジェクターの光を当ててみたら、面白い効果が得られた。学生時代にストロボ効果の本を読んでいた。そこでパターン配列をフィルムに起こしてコピーライトを取ることにした。『Flicker』(1965)を制作
・ロン・ライスの『Chumlum』(1964)に、ビバリー・グラントがサウンドトラックで参加していた。彼女はスミスの『Normal Love』(1963)にも出演していた。コンラッドとグラントは結婚する。2人でストライプパターンによるフリッカーを起こす『Straight and Narrow』(1970)を制作。この作品のサウンドトラックは、テリー・ライリー&ケールの『Church of Anthrax』(1971)。また、50年かけてペンキの色が変化する「映画作品」として『Yellow Movies』シリーズ(1973〜)を制作
・1969年、シャルルマーニュ・パレスタインは、MoMAの横にある教会(セント・トマス教会?)で鐘を鳴らす仕事をしていた。その鐘の音を聴いたコンラッドは、パレスタインを訪ねて「カリヨンを録音させてくれ」と言ってきた
・コンラッド、スミス、ヘンリー・フリントによるパフォーマンス的なデモ活動のエピソード

・1970年代に入り、オルブライト大学やアンティオーク大学で教員の職につく。アナーキーな講義風景
・フィルムを加工(料理)する作品群を制作する。フィルムを酢漬けにする『Pickled Film』(1974)、フィルムをすき焼きにしてスクリーンに投げつける『7360 Sukiyaki』(1973)など。フィルムをリアルタイムで現像して入れ子状に上映する『Film Feedback』(1974)も、この時期に制作
・サンディエゴ大学でスーパー8を手にして、軍隊をテーマにしたチープな劇作品『Beholden to Victory』(1980)を、トニー・アウスラー、マイク・ケリーと共に制作。ジャンク映画を作りたかった。作品を上映すると、過去の自分の音楽と映画のファンは帰っていた
・バッファロー大学で教員(メディア学?)となる。本人がパフォーマンスする『Your Friend』(1982〜1985)、『In Line』(1986)を制作。テレビのメディア性に着目し、通話によって地域の子供に宿題を教えるビデオ作品『Homework Helpline』(1993〜1997)を制作。メディア批判とメディアアクセスへの介入を意図して、ビデオで人々にインタビューする『Studio of the Streets』(1991〜1993)を制作
・監獄をテーマとする「監獄映画」の制作を思いつき、屋根裏に監獄のセットを作る。囚人としてケリー、アウスラーが出演。16mmで撮影を開始するが、中断。いずれ再開することを目論み、セットをそのまま残しておく。やがてビデオの性能がフィルムと同等になったので制作を再開するが、ケリーが自殺。これ以上制作できなくなる
・バッファロー大学に勤めている時期は辛かった。グラントと離婚し、テッド(息子)はグラントが養育。しかし、グラントが1980年代終わりに病死。テレビモニターを通して息子と話すビデオ作品を制作。息子との仲が修復される。(その後、コンラッドは再婚している)
・コルクボードに汚れた老人用下着を貼り付けた造形作品を制作する様子。皆に呆れられる

・時間は戻り、ヴァイオリンを手にしてドイツに渡って『Outside the Dream Syndicate』(1972)を、クラウトロック集団であるFaustと共に録音したエピソードについて。ヤングから離れたかった
・1993年に「Tabel of the Elements」のハントが、コンラッドの勤務校に電話をかけて来て、『Outside the Dream Syndicate』の再発を打診する。同年、再発CDと、未発表音源を収録した7インチをリリース。1994年、「Tabel of the Elements FESTIVAL Vol.1 MANGANESE」にてコンラッドとFaustのリユニオン・コンサートも行う。このフェスティバルには、灰野敬二やAMM、サーストン・ムーア、オルークも参加
・1964年12月に録音していた音源をハントに送ったところ、『Four Violins』(1996)としてリリースされる。ビブラートは使わない。指を奇妙なポイントに置き、ハーモニクスを起こす
・ヤングは相変わらずテープの権利を独占していた。そこで、過去の形式によって作品をもう一度作り直す『Early Minimalism Volume One』(1997)を制作する。1994〜1996年の期間に録音されたもので、レコーディングエンジニアはオルーク。楽譜のない音楽を目指す
・ハントは、レコーディングエンジニアとしてスティーブ・アルビニを起用することによって、コンラッドの音楽に再びロックの文脈を与えようとする。そうして、『Slapping Pythagoras』(1995)を制作。ギターを弓で弾くことによる強いハーモニクス。オルークとデヴィッド・グラッブスも参加
・再び「Tabel of the Elements FESTIVAL Vol.2 YTTRIUM」でのコンサート映像。60Hzのハムノイズが出るアンプを使って演奏。オルークとグラッブスもGastr Del Solとして、このコンサートで共演したが、オルークは草刈機を演奏するように命じられた
・再び、ヤングとの確執について。ヤングは永久音楽劇場の音源のリリースは認めたが、著作権は自分にあると主張した。作曲者不在の音楽を作りたかったのに。そこで、バッファロー大学にヤングが講演に来た時に抗議デモを行った。すると、不思議なことにオルークが、どこからともなく永久音楽劇場の音源を入手してきた。それを『Inside The Dream Syndicate Volume I: Day Of Niagara (1965)』(2000)としてリリースした。その後もヤングとの論争は続いた
・刑務所のセットと音声によるインスタレーション、『Women In Prison』(2013)の様子。囚人を通常の時間感覚の外側から見つめる。そのほか、サウンドオブジェ作品の展示風景など。恐らくGREENE NAFTALIにおける個展の際に撮影されたもの
・横断歩道で車を指揮するコンラッドの様子。エンディングクレジット

以上、日本では紹介されて来なかった1980年代のコンラッドの活動も含めて、彼の生涯を俯瞰する、良くまとまったドキュメンタリー映画だった。私も知らなかったエピソードがいくつもあり、大変興味深く観た。編集としても、『Outside the Dream Syndicate』の再発以降の音楽活動を最後に持って来たのは、綺麗にまとまりすぎている感もあるが、巧みな構成だった思う。映画についての感想というより、コンラッドの活動履歴についての感想になってしまうが、いくつか思ったことを書き留めておく。

まず、1960〜1970年代に極めて重要な作品を多数制作したコンラッドだったが、彼にとっての1980年代から1993年にかけての時期は、どのような時代だったのだろう。それは少なくとも、映画作家としては混迷期だったと思う。この時代のコンラッドのビデオ作品は日本ではほとんど知られておらず、私も初めて見るものばかりだった。それは初期ビデオアートの焼き直しのような、中途半端な仕事に見える。しかも、大作であったはずの「監獄映画」の制作も思うように進まない。そんな時期に、「Tabel of the Elements」のハントはコンラッドにコンタクトを取り、彼に大きな転機をもたらした。すなわち音楽の側からの再評価の契機を与えたのである。コンラッドのディスコグラフィーを眺めてみよう(http://www.discogs.com/ja/artist/91947-Tony-Conrad)。ヤングが永久音楽劇場のテープを独占してしまったため、1993年に至るまで、世に出たコンラッドのレコードは、Faustとの共作である『Outside the Dream Syndicate』しかなかった。そのため、ハントやオルークのようなマニアが聴きたいと思っても、コンラッドの音楽になかなかアクセスできない、一種の疎外された状態が長く続いていた。そして、コンラッドのレコードが続々リリースされるようになるのは、ハントが『Outside the Dream Syndicate』を再発する1993年以降である。その余波として映画や美術の領域でも、今日に至るまでのコンラッドの再評価が及ぶことになる(私も、その流れのなかで、彼の映画と音楽に触れて来た)。2014年に出版した『Plus Documents 2009-2013』に収録の、オルークや牧野貴らとのトークセッションにも、これに関わる部分があるので引用してみよう。

阪本(S):そういえばジムさん、トニー・コンラッドと一緒に活動していたじゃないですか。
ジム(J):私はいつもトニーの手伝いをしていた。彼が何か欲しい(と言ったら)、「はい、それやります」と。
牧野(M):映画と音楽、どちらから好きになった? 美術でもあるし。
J:もちろん。トニーの作品そういうふうに扱う。映画か音楽、そういうふうに分けられない。
S:トニー・コンラッドの作品で最初に出会ったのは何でした?
J:もちろん、『Flicker』(1965)。長年、彼の映画は知っていた。あの頃は彼の音楽を聴くことが出来なかった。ファウスト(Faust)と一緒にやったのだけだった。見つけにくかった。多分、14~15年間探した。
S:トニー・コンラッドはずっとレコードを出してなかった。テーブル・オブ・ジ・エレメンツ(Table of the Elements)から、ファウストと一緒にやった『Outside the Dream Syndicate』(1973)の再発や、『Slapping Pythagoras』(1995)を出したのが久しぶりで、あの頃からまた演奏を再開した感じですよね。
J:いや、60年代からやっていた。レコードが無くても、よくライブをやってた。あの時、そういう音楽に関しての雑誌が無かった。あの歴史を読むことが出来ない。

オルークによると、ライブは1960年代から続けていたようだが、やはり1993年の転期に至るまでは、コンラッドの音楽には、なかなかアクセスできない状況が続いていた。似たような記述は、アメリカ実験音楽全体の話になるが、グラッブスの著書『レコードは風景をだいなしにする』の中にもあったように思う。この『Outside the Dream Syndicate』をめぐるエピソードは、過去と現在が等価に関係し合う、歴史の循環性を私たちに知らしめるものだ。思えば、ヤングがテープを独占したために発案することになった『Early Minimalism Volume One』もまた、失われたものを再現前させるという意味で、そのような過去との関わり方を実践するものだったのではないか。私には、彼の作家としての人生そのものが、過去と現在の循環によって成り立っていたように思えてならない。それは人間の時間感覚を解体するものとしての、彼の音楽や映画とも通じ合っている。資料価値の大変高いドキュメンタリー映画だと思うので、今後も上映の機会を拡げていってほしい。


最後に、オルークのライブと『Flicker』上映+灰野のライブについて簡単に述べておきたい。

ジム・オルーク+波多野敦子「トニー・コンラッドに捧げるライブ」:
オルークは(恐らく)ヴァイオリン、波多野敦子がヴィオラを演奏。エフェクター類は一切なく、マイクで拾われたそれぞれの楽器のサウンドが、そのまま卓上のミキサーでミックスされる。ミキサーにはWAVプレイヤーも入力されており、あらかじめ作り込んでおいた、多くの倍音を含んだドローンが鳴らされる。そのベーストラックの上で、オルークと波多野は、それぞれ高音域と中音域のドローンを演奏する。楽曲はインプロヴィゼーションではなく、二枚の楽譜として作曲されており、幾つかのパートを繰り返すことで、30〜40分ほどの演奏として展開された。特にオルークは、弓を駒の近くに当てて弾くことで、ノイズを多く含んだ物質的なドローンを発生させており、対して波多野はやや情感溢れる演奏に向かう傾向があったものの、中音域を堅実に支えていた。2008年に横浜トリエンナーレで観た、オルークとコンラッドのコンサートの記憶を呼び起こされた。

灰野敬二「フリッカー with 灰野敬二」:
コンラッドの『Flicker』の上映に合わせて、灰野敬二がハーディーガーディーを演奏した。まず断っておくが、灰野による演奏は、音楽自体としては大変良いものだったと思う。しかし、元々サウンドトラックがついている映画にライブ演奏を付け加えることの意義が、作品のコンセプト的にも、私には全く理解できなかった。作家本人がそのような上映を生前に認めていたのかどうかによるので、私の認識に誤りがあったならば、このレヴューを撤回して書き改めます。

UCLA映画テレビアーカイブ 復元映画コレクション『ザ・コネクション』@フィルムセンター

connectionフィルムセンターで開催されたUCLA映画テレビアーカイブ復元映画コレクションのプログラム枠内で、シャーリー・クラーク(Shirley Clarke)の『ザ・コネクション(The Connection)』(1961)が上映された。クラークは、1960年にジョナス・メカス(Jonas Mekas)の呼びかけにより発足したニュー・アメリカン・シネマ・グループのメンバーでもあり、初期には実験映画を制作していたが、その後、ドキュメンタリーや劇映画を制作するようになる女性作家である。そのクラークによる初の劇映画が本作であり、ストーリーは「ドキュメンタリー映画の撮影」というメタフィクションのなかで展開する。本作の原作はリヴィング・シアターによる同名の演劇であり、演劇版と映画版いずれもジャック・ゲルバー(Jack Gelber)が脚本を担当した。また、リヴィング・シアターの公演におけるキャストは、一部の配役は異なるが殆どそのまま映画のなかでも起用されている。さらに、映画では室内劇としてすべてのプロットを構成しており、その枠組みは極めて演劇的である。このことから本作を考えるにあたって比較対象となるものは、メカスによる『営倉(Brig)』(1964)であることはいうまでもない。メカスの『営倉』もまた、軍隊の営倉における非人権的な抑圧を描いたリヴィング・シアターの演劇を、セットを組んで撮影した映画である。『ザ・コネクション』と『営倉』、これらの作品のコンセプトは極めて近い。これらの作品が目論んだものとは、演劇とドキュメンタリーの越境であったというべきだろう。

次に、ストーリーを説明する。最初にメタフィクションへの導入として、字幕で「この映画は監督が放棄したフィルムを編集して完成されたものである」という旨が示される。そして、ジャンキー達が薄汚いアパートの一室にたむろしている様子が映し出される。その顔ぶれは、この部屋の持ち主である白人A、雑誌を読みふける白人B、黒人C、楽器を質屋に流した白人D、ピアノ奏者の黒人フレディ・レッド(Freddie Redd)、サックス奏者の黒人ジャッキー・マクリーン(Jackie McLean)、ベース奏者の黒人マイケル・マトス(Michael Mattos)、ドラム奏者の黒人ラリー・リッチー(Larry Richie)である(ジャズの演奏家4名は本物の演奏家であり、4名ともにリヴィング・シアターの演劇版にも出演している)。彼らはジャズと麻薬を題材とするドキュメンタリー映画撮影のために集められた。そして、彼らを撮影するのが、映画監督の白人と、カメラマンの黒人である。会話の内容から、映画監督は撮影のための彼らの麻薬代を負担したことがわかる。そして、彼らはドラッグディーラーである黒人の到着を今や遅しと待ちわびている。ジャンキー達のだらだらした無駄話の合間に、演奏家達はセッションを繰り返す。中盤になり、待ちわびていたドラッグディーラーがやってくる。なぜか彼の横には救世軍のシスターの老婆が同行している。皆は老婆の話を聞き流しながら、トイレで順番にドラッグディーラーから麻薬を打ってもらい、その快感に浸る。しかし、最後の白人Aにだけは麻薬の効果が現れず、彼は自分だけ量を少なくされたとドラッグディーラーを疑う。やがて、救世軍のシスターが部屋を去る。映画監督はドラッグディーラーに何か話をしろと注文をつける。彼は苛立ちながら、自らのリスキーな生活を吐露し、これで満足かと怒鳴る。そして、逆に映画監督に対して「ドラッグ映画を撮りたいのなら自分も麻薬を試すべきだ」と迫る。映画監督はこの要求を受け入れ、自らの身体で麻薬を試すが、その後作品の終わりに至るまで酩酊状態になってしまう。その一方、白人Aはしつこくドラッグディーラーに麻薬をもっとよこせと迫り、セッションのサウンドが鳴り響く中で、遂に大量の麻薬を自らの腕に打つ。それによって白人Aは意識を失い、皆で彼を介抱するはめになる。ここで「ドキュメンタリー映画の撮影」はお開きとなり、演奏家達は楽器を抱えて帰ってゆく。うなされている白人Aを取り囲んだ男達は、重苦しい空気の中に取り残される。映画監督は映画の製作を放棄し、カメラマンにフィルムを託すと述べる。最後に、レコードプレーヤーを抱えた奇妙な男が室内に入ってきて、ジャズのレコードをかけて映画は終わる。

以上がこの映画のストーリーであり、雑然とした会話を積み上げることで、ジャンキー達の袋小路のような生活と閉塞感を表現しているあたりは見事である。しかし、メタフィクションという仕掛けについては味付け程度で、設定上のカメラの位置関係を無視したショットも多々あり、全体的に作り物感が強い。しかし、このアンチ・リアリズム的な感覚こそが本作の醍醐味だろう。この作り物感は舞台上での演劇に通じるものがあり、やはりこの作品は、劇映画というよりも、演劇のドキュメントに近い。また、映画の進行に唐突に割り込んでくるフレディ・レッド・カルテットによる演奏も、音楽ドキュメンタリーのように、長いシークエンスをとって撮影される。演劇と音楽という異なる領域の表現を、メタフィクションという仕掛けを足がかりに、いびつなかたちで映画内で束ねた実験的な作品――本作は、そのように形容することが適当であるように思う。

ちなみに、作中のフレディ・レッド・カルテットは「Freddie Redd Quartet with Jackie Mclean」の名義でサウンドトラック『The Music from The Connection』を録音している(http://www.discogs.com/ja/Freddie-Redd-Quartet-With-Jackie-McLean-The-Music-From-The-Connection/release/2421541)。

Zeitkratzer × James Tenney @サウンド・ライブ・トーキョー2016 Super Deluxe

今年のサウンド・ライブ・トーキョーは、マイケル・スノウ、ケン・ジェイコブスと続いた実験映画をテーマとしたプログラムから離れ、多彩な音楽プログラムを組んでいた。そのなかでも現代音楽と実験的ポピュラー音楽を行き来する活動で知られるドイツの演奏家集団ツァイトクラッツァー(Zeitkratzer)の三夜に渡る公演は、目玉プログラムの一つであったといえるだろう。ツァイトクラッツァーは、今回の公演でカールハインツ・シュトックハウゼン(9月27日、灰野敬二との共演)、ジェームズ・テニー(9月29日)、テーリ・テムリッツ(9月30日)の作品を演奏したが、そのなかでも私が気になって足を運んだのが、ジェームズ・テニー作品の公演であった。ここでは、その様子をレヴューしておきたい(ただし基本的な楽理を学んでいない自分では、このような作品を前にした場合、感想文レベルの文章しか書けないが)。

また、テニーに関する公演としては、4チャンネルの電子音楽とパーカッションのための作品である『ピカ=ドン』(1991)などの公演(9月11日)もあったのだが、そちらは都合がつかず見送った。その他にも、今年のサウンド・ライブ・トーキョーではアイシャ・オラズバエヴァによるフィリップ・テレマン作品と、ルイジ・ノーノの『夢みながら歩かなければならない』(1989)、『未来のノスタルジー的ユートピア的遠方』(1988)の公演(10月1日)にも行ったが、これも大変興味深いものだった。

ツァイトクラッツァーは昔から越境的に活動しているが、最近では、ルー・リードの長大なノイズ作品『Metal Machine Music』を譜面に起こして管弦楽器で演奏した『Lou Reed: Metal Machine Music』(2014)、ノイズ・インダストリアルの代表的なユニットであるWhitehouseの作品を管弦楽器で演奏し直し、さらにウィリアム・ベネット本人を招いてボイスパフォーマンスで参加させた『Whitehouse』(2014)、灰野との共演でシュトックハウゼンの「Aus Den Sieben Tagen」を演奏した『Stockhausen: Aus Den Sieben Tagen』(2016)などで知られている。テニーの作品に関しては、『Old School: James Tenney』(2010)を、過去にリリースしている。今回のツァイトクラッツァーの楽器編成は、ピアノ、クラリネット、ホルン、トロンボーン、パーカッション、ヴァイオリン、第一チェロ、第二チェロ、コントラバスの総勢9名であり、ここに音響担当と照明担当が加わる。ちなみに、ピアノ奏者のラインホルト・フリードルが創設者でありグループの芸術監督を務めている。


Zeitkratzer × James Tenney(9月29日)
1:James Tenney – Having Never Written a Note for Percussion(1971)
ジェームズ・テニー『パーカッションのために一音も書いたことがなく』
パーカッションのための作品であり、パンフレットの解説によるとクレッシェンド(次第に強く)とデクレッシェンド(次第に弱く)を長く行うことが指示されている。今回は巨大な銅鑼を用いて演奏された。銅鑼の前に座ったパーカッション奏者は、スティックを細かく連打しながら力加減をコントロールすることで、静寂から轟音、そして再び静寂に至るまでを表現した。特に音量がピークに達するあたりでは、楽器の音とは思えないような銅鑼の混濁した音響が会場内を満たしていた。最前列で聴いていたこともあって、非日常的な聴覚体験を得た。この楽器選択は正解だったと思う。

2:James Tenney – Swell Piece No.3(1971)
ジェームズ・テニー『スウェル・ピース第3番』
サックス、ホルン、トロンボーン、パーカッション(打楽器の弓引き?)、ヴァイオリン、第一チェロ、第二チェロ、コントラバスによる演奏。パンフレットの解説によると、各楽器によって鳴らされる五度離れた音が、それぞれのタイミングで現れては消えてゆくという作品である。一聴すると束状のドローンに聴こえるが、微細な音響の変化が、音の内部で次々と発生している。今回演奏されたテニーの器楽曲は、引き伸ばされた音のなかに微細な変化を聴き取る作品が多く、実際に演奏を聴いてみることによって、私のなかでの作曲家の印象が大きく変わった。

3:James Tenney – Critical Band(1988/2000)
ジェームズ・テニー『臨界帯域』
サックス、ホルン、トロンボーン、ヴァイオリン、第一チェロ、第二チェロ、コントラバスによる演奏。こちらも『スウェル・ピース第3番』に似ているのだが、周波数の取り扱いは、さらに精緻なものとなっている。あまり楽理には詳しくないのだが、パンフレットの解説を要約しておこう。それによると、基準音Aに重ねて、非常に近い高さの音を、高音・低音の両方で鳴らしてゆく。最初の段階では周波数の帯域が近すぎるために、それは唸りにしか聞こえないが、徐々に音程を展開してゆくことで、アンサンブルが、唸りのない純正な和音に到達するというコンセプトらしい。演奏者は、デジタルカウンターで周波数を見ながら厳密に演奏していたようであり、確かに、引き伸ばされた音の重なりの中で、唸りが徐々に消失してゆく過程が明確に表現されていた。

4:James Tenney – Harmonium No.1(1976)
ジェームズ・テニー『ハルモニウム第1番』
ピアノ、サックス、ホルン、トロンボーン、パーカッション(シロフォン)、ヴァイオリン、第一チェロ、第二チェロ、コントラバスによる演奏。パンフレットの解説によると、純粋なハーモニーを別の周波数で不純化するサイクルを5回繰り返すものらしい。この夜演奏された『スウェル・ピース第3番』『臨界帯域』、そして本作は、いずれも全体の印象としては引き伸ばされた持続音ばかりだが、楽曲の目的は各々異なり、観客にそれぞれ違う経験を与えてくれた。周波数の変化をコンセプトにするようになると、器楽曲も電子音楽も、ほとんど違いがないのだなと実感した。

5:James Tenney – For Percussion Perhaps, Or… (night)(1971)
ジェームズ・テニー『たぶんパーカッションのための、あるいは…(夜)』
45分間にも及ぶ、演奏者の解釈に任された即興演奏で、メンバー全員が参加。パンフレットの解説によると演奏者への指示は「非常に静かに、非常に長く、ほとんど白く」というものらしい。その指示の通り、微細なブレスや楽器の摩擦音などが、静寂の中で蠢くという展開になった。先ほどまでの精緻なコンセプトに基づく楽曲に対して、このような解釈の余地の大きい楽曲を対置するのは面白い。テニーの作風の広さを感じさせるセレクトだったといえるだろう。

小杉武久「Music Expanded」@あいちトリエンナーレ2016 愛知県芸術劇場 小ホール

10月22日・23日に名古屋を久しぶりに訪れ、あいちトリエンナーレを見て回った。もちろん目当ては小杉武久の公演「Music Expanded」を観るためである。会場は愛知県芸術劇場地下の小ホールで、両日ともに観客はほとんど満員という盛況だった。また今回のトリエンナーレの展示には、小杉のサウンドインスタレーションも四点出品されていて、まるで小杉武久の回顧展のようであった。以下、その内容をレヴューしておきたい。


Music Expanded #1(10月22日)
1:Micro 1(1961)
マイクを大きな紙で包んで、紙の動く小さな音を聴取するというフルクサス的な楽曲。プログラムの始まりにふさわしい、お馴染みの作品である。2014年東京公演(「フルクサス・イン・ジャパン2014」東京都現代美術館、2014年4月13日〜20日)のレヴューでも概説しているので詳細は省くが、演奏者も2014年公演と同じく浜崎健であり、内容に大きな違いはなかった。

2: South e. v. #2(1962/2014)
「South」という英単語をそのまま発音したり、イントネーションを変えたり、発音記号ごとに細かく分節するなどして、さまざまな方法で発声する作品である。2014年東京公演と同じく『South e. v. #2』として、声をエフェクター、サンプラー、オープンリール・テープレコーダーといった電子機器によって変形する。演奏者も2014年東京公演と同じく、小杉と和泉希洋志である。ただし、今回公演では担当に若干異なる部分があり、2014年東京公演は小杉しか発声行為を行わなかったのに対して、今回は小杉・和泉の両名が発声行為を行なっていた。機材について述べておくと、小杉はBOSSの小型サンプラー(Dr.Sample)を、和泉はモジュラーシンセを用いて、それぞれ自分の声を操作していた。途中から二人によって、声を録音したオープンリールのテープを再生ヘッドに擦り付け、音を歪めるというアクションも行われた。
日常的な言葉から離れて抽象化された音響が、即物的に空間に投げ出されてゆく演奏が続くが、和泉の方がモジュラーシンセによって声を抽象的な電子音に変化させたり、テープによる変形作業を繰り返すなど、エレクトロニクスによる素材加工に集中していたのに対し、小杉の方は発声方法のバリエーションを探ることに集中していたように見える。

3:Organic Music(1962)
人間の呼吸器官を楽器として扱い、任意の時間内で任意の回数の呼吸を行うという楽曲。呼吸器官に準ずる楽器での演奏も可能である。2014年東京公演とは異なり、今回は小杉・浜崎・和泉による同時演奏であり、小杉はアコーディオン、浜崎はラムネ菓子の口笛、和泉はビーチボールを使用する。
引き伸ばされた呼吸が別の呼吸と重なりながら、時間の余白のなかに配置されてゆく。演奏者が増えることで、作品のコンセプチュアルな性格よりも、音響的な複雑さが強調されていたように思う。
以下はGettyがオフィシャルで公開している同作の演奏記録。この日の演奏とは使用楽器も何もかも違うが、参考まで。

4:Violin Improvisation
小杉による、電気ヴァイオリンの即興演奏。エフェクターも使用されたようだが、派手に原音を加工するような使い方はしない。短いアタック音によって静寂の中に音を刻んでゆくような即興演奏が、張り詰めた緊張感のなかで行われた。ここでは、自分自身の直前の演奏がエンバイラメント的なものとして聴き取られているといえるだろう。
小杉の即興演奏は、フリージャズを出自とする演奏者とのセッションを含めて幾つもレコードになっているが、どうしてもタージ・マハル旅行団のイメージが強いためか、小杉の即興演奏それ自体についての批評が充分行われてきたとは思えない。フリージャズと現代音楽の共通性を考察する言説は、もはや過去のものとなって久しいが、小杉によるチャーリー・パーカー論をはじめとするテクストなどを参照しながら、小杉の即興演奏の取り組みを再論する必要は絶対にあるだろう。

5:Op. Music(2001)
客席からは機材が確認できないので、音を生成する構造がはっきりと分からないが、解説によると光に反応する電子音の発振器と、その音信号を光(ライトの電圧ボリューム?)に変換する回路を組み合わせた、フィードバック・システムを持つ作品のようだ。2012年東京公演(「回路」東京国立近代美術館、2014年9月1日)でも小杉・和泉によって演奏されたが、今回の演奏者は和泉とGuilty Cの二人である。二人はライトを手に持ちながら、エレクトロニクスを操作する。Guilty Cことギルティ・コネクターは、ノイズミュージック界隈では昔から知られた作家であるが、2015年神戸でのデヴィッド・チュードア作品上演(「レインフォレストI コンサート」横尾忠則現代美術館、2015年5月23日)で、小杉・和泉と一緒にチュードアの『Rainforest』を演奏して以降、小杉のコンサートをサポートする関係にあるようだ。
演奏自体は勢いのあるハーシュノイズが展開されており、他の小杉作品に見られる電子音の物質性とは違った方向性が出ていた。以下はGettyがオフィシャルで公開している同作の演奏記録。参考まで。

6:Film&Film #4(1965)
16mm映写機のランプ光によって紙製のスクリーンを照らし出し、このスクリーンを鋏によって切り開いてゆくという、音楽の要素がない、拡張映画的な作品。演奏者はもちろん小杉である。2014年東京公演のレヴューでも概説しているので詳細は省くが、その時と今回で違いがあるとすれば、紙製のスクリーンが上手く切れず、途中から手でスクリーンを破っていた事だろう。おそらく作家にとっても想定外の出来事だったと思うが、ひとつのハプニングとして興味深く観た。
また今回、個人的に気がついた点としては、飯村隆彦のフィルム・パフォーマンスとの類似性がある。制作年からいって、飯村による1963年の『Screen Play』との影響関係が知りたいところである。


Music Expanded #2(10月23日)
1:Walking(1982)
束ねた竹の棒にコンタクトマイクを取り付け、これを床や壁などに接触させ、その際に発生した物音を大音量で増幅させる作品。2012年東京公演でも同シリーズの作品が、小杉・和泉と高橋悠治によって演奏された。今回は、小杉による演奏である。
小杉がステージに登場する以前の、舞台袖の段階から演奏は開始されており、ガリガリとした接触音が大音量で会場に響く。やがて会場に現れた小杉は、床を竹の棒で触れながら歩き、次に客席前方の壁にも触れて、発生する音の性質を探ってゆく。しかし途中でハプニングがあり、竹の棒からマイクが外れてしまうという出来事が起こった。しかし、小杉はその後もコンタクトマイクを引きずりながら歩き続け、時折身を回転させてコンタクトマイクを宙に浮かび上がらせたりするという、臨機応変なパフォーマンスを見せた。

2:Anima 7(1964)
日常的な動作を6分間に引き伸ばすというフルクサス的な作品で、音楽の要素は皆無。演奏者は小杉・浜崎・和泉・Guilty Cであるが、小杉はパフォーマンスを行わず、時計を手にして、1分ごとに時間をカウントするのみである。
浜崎はジャケットの襟を開き、和泉は椅子に座って冊子を読み、Guilty Cは雨具のズボンを履くという行為を、極めてゆっくりと行った。

3:Anima 2 / Chamber Music(1962)
複数の穴がある大きな布袋に演奏者が入り、その中から身体の一部分を外に出す。さらに、袋の中に楽器を持って入り、演奏を行うことも可能という作品。2012年東京公演でも高橋によって演奏されているが、今回の演奏者は小杉であった。
小杉は、コンビニのビニール袋とカップ麺のようなレトルト食品を持って袋に入っており、袋から手を出したりしながら、それを振って演奏していた。高橋の演奏と比較すると、ビニール袋の鳴る音が音楽的ですらあった。

4:Mano-Dharma, electronic(1967-)
小杉の代表作であるが、2014年東京公演の際には同じ内容の作品が「Catch Wave」として、小杉・和泉によって演奏されていたはずである。そもそも「Catch Wave」とは「Mano-Dharma」から発展した作品を指すものなので、あまりタイトルを厳密に区別する必要もないのだろう。基本的に「Mano-Dharma」を含めた「Catch Wave」シリーズのコンセプトとは、電波発振器とラジオ受信機の間で起こる周波数干渉作用の距離による変化を聴き取るものであり、今回の演奏では発振器はターンテーブルの上に置かれたり、竹竿に結んだ糸の先に付けられたり、自転車の車輪に取り付けられたりする。今回の演奏者は和泉・浜崎・Guilty Cである。
Guilty Cはターンテーブルを、和泉は主に竹竿を担当して、混沌とした電子音を発生させる。そして、しばらくすると2014年東京公演と同じく、浜崎が自転車で会場に突入してくる。彼が漕ぐ自転車の運動と結びついた偶発的な電子音は、和泉・Guilty Cの電子音に絡まりながら空間を疾走していった。

5:Music for Nearly Ninety, part A(2009)
2009年4月に初演された、マース・カニングハム舞踊団の作品「Nearly Ninety」のための作品の一部である。2012年東京公演でも、小杉によって演奏された。解説によると、7つのLEDによる明滅を光センサーで受けて、その信号を発振器に送ることで電子音を生成しているらしい。さらに、この作品でも音信号を光に変換する回路を組み合わせることで、フィードバック・システムが組まれているようだ。演奏者は2012年東京公演と同じく小杉であり、小箱の蓋に触れながら、エレクトロニクスを操作する(小箱の暗闇の中に置かれたLEDの光量を変化させているのだろう)。客席からは確認できなかったが、2012年の機材と同じだとすれば、センサー類の他に、BOSSのピッチシフター/ディレイやイコライザー等のエフェクターが用いられていたはずである。
LEDの明滅に反応した激しいパルスのダイナミックな変化の連続は、チュードアの『Rainforest』と同じく、プリミティヴな電子音の物質性を感じさせる。個人的に、今回のプログラムで最も感銘を受けたのがこの演奏であった。

6:Catch-Wave(1967-)
「Mano-Dharma」および「Catch Wave」シリーズについては、『Catch Wave』(CBS/Sony、1975)のジャケット裏面の解説、『Catch Wave’97』(Super Fuji Discs、2007)の川崎弘二によるライナーノート、ジャズ批評17号に掲載された小杉本人のテクストが参考になる。特にジャズ批評17号では、今回の「Mano-Dharma」の演奏で用いられていた干渉作用を利用する手法に加えて、任意の楽器演奏(およびそこに付与されるエコー)の音信号に低周波の電圧をかけて、倍音をコントロールして音色を変化させる手法(すなわちVCF)についても細かに説明されている。今回の演奏の基本的な手順もこれに沿っているようで、電気ヴァイオリンや声の音信号に低周波をかけて、音色にゆっくりとした上昇と下降を生み出していたようだ。もちろん今回の演奏者は小杉である。
小杉は、波の映像を背後のスクリーンにプロジェクションしながら、電気ヴァイオリンを弾き、声を発する。それらの音はエコーで引き伸ばされ、上昇と下降を繰り返すなかで、ひとつの波となり空間を満たしていた。演奏の印象としては比較的アンビエントだったので、『Catch Wave’97』に収録された演奏(水戸芸術館現代美術センター、1997年9月20日)に近かったように思う。複数の波が影響し合うことで生成された音の奔流に、演奏者が即興的に反応してゆく過程は、まさに小杉の音楽の真髄であるといえるだろう。


加えて、名古屋市美術館に展示されていた、四点のサウンドインスタレーションについても、簡単にレヴューしておきたい。インスタレーションでは、光と音を同じ波とみなして、ささやかなエレクトロニクスでこれを交換するという小杉の音楽的なコンセプトが、演奏者の存在を欠いた状態で実現されることになる(「イルミネイティッド・サマー」「ライト・ミュージックII」)。これは、人間によって演奏される楽曲と比較して、インスタレーション作品が、欠如を抱えた不完全で余技的なものであることを意味しない。むしろ、小杉の音楽においては、演奏者も、環境化されたフィードバック・システムの一要素にすぎないのである。小杉のインスタレーション作品に注目することによって、私たちは小杉の音楽における演奏家の存在理由を確認することができるのだ。

イルミネイティッド・サマー(1996/2016)
音光変換器、ハンドメイド発振器、アンプ、スピーカー、CDSセンサー、電球、他
・階段の踊り場の上部に、ひっそりと設置されたインスタレーション。赤と青の電球が明滅しており、その光を4つのセンサーで受けて、発振器から明滅に応じたチープな電子音を鳴らす。

点在(1980/2016)
ハンドメイドクリック音発振器、ピエゾ発音体、9V乾電池
・白い空間の壁に、5つのユニットに分かれた計26個の発音体・基板・電池が貼られている。発振による断続的な信号は、羽虫のように壁に点在する発音体から、虫の鳴き声のようなクリック音を間欠的に鳴らす。

75文字と即興(1987/2016)
スピーカー、アンプ、CDプレーヤー
・「点在」の設置された部屋の中央に、天井から小さなむき出しのスピーカーが吊るされている。そこから微小な音量で、音声詩のような、電子変調された声が鳴らされる。無音の時間が多く、注意しないと音に気がつきにくい。

ライト・ミュージックII(2015)
ハンドメイドサウンド発振器、ピエゾ発音体、スピーカー、太陽電池、9V乾電池、他
・天窓から陽光が差し込む空間。机の上に20個程度のユニットが、コップや缶とともに置かれている。その上からは半透明のビニールが掛けられている。ユニットのうち、小型スピーカーに繋がっているのは2〜3個程度で、その他はピエゾ発音体に繋がっている。スピーカーおよび幾つかのピエゾ発音体からは太陽光をセンサーで拾うことで発振した持続する電子音が、残りのピエゾ発音体からは「点在」と同じクリック音が鳴らされる。この2種類の音が、コップや缶といった構造体の影響を受けながら、ひとつの音楽を生成する。

東京現音計画 #07 クリティックズ・セレクション1:沼野雄司@北とぴあ つつじホール

日時:2016年7月14日
会場:北とぴあ つつじホール
プログラム監修:沼野雄司
出演:東京現音計画 有馬純寿(エレクトロニクス)、大石将紀(サクソフォン)、神田佳子(打楽器)、黒田亜樹(ピアノ)、橋本晋哉(チューバ)
客演:宮村和宏(オーボエ)、大田智美(アコーディオン)

五年前の震災・原発事故を経て、この国は徐々に変化しつつある。それは単純に交代後の政権によって右傾化した政治方針が推進されているということだけでなく、それを「まあ、それくらいなら」と何となく受け入れてしまえるほどに、人々のなかに権力の内面化、あるいは消極的受容が進行しているということによる。このような日常生活レベルで、権力の消極的受容が進行する状況下では、日常生活を撹乱するかたちで現れる政治主張は、ノイズとして煩がられるか、時として反射的な攻撃の対象とされる。最近、フジロック・フェスティバルのトークイベントにSEALDsのメンバーが招聘された際に、「音楽に政治を持ち込むな」という反応が一部のネットユーザーのあいだから立ち現れたことなどは、その分りやすい一例といえるだろう。言うまでもないが「音楽に政治を持ち込むな」、すなわち「芸術に政治を持ち込むな」という発言は、それ自体が「ある空間において政治的なものの存在を許容しない」という政治的な発言になっている。あらゆる文化は、社会的なレイヤーが重なり合うことで生み出された、政治的な織物である。そのようなレイヤーは明確に目に見える場合もあれば、表面的には見えてこない場合もある。いずれにせよ社会の内部に存在する限り、政治的に漂白された純粋芸術などはあり得ないのだ。

何故こんな話からコンサートのレヴューを始めたかといえば、それは今回の「東京現音計画#07」のテーマが、そのものずばり「新たな抵抗へ向けて」と題されていたからである。今回のクリティック・セレクションと題されたプログラムは、外部から監修者として音楽研究者の沼野雄司を招いて組まれている。ウェブと当日のプログラム冊子ではステートメントの内容が異なるのだが、ここではウェブ版(新たな抵抗へ向けて Toward Another Resistance)を参照しながら話を進めたい。このステートメントにおいて「抵抗」という言葉は、直接的な政治主題に限定されるものではなく、社会との摩擦や衝突を恐れない、音楽という営為そのものへの根本的問いかけとして位置付けられている。すなわち、作曲や演奏といった「音楽の生産行為」において、障害や抑圧として立ち現れる音楽的な諸制度に抵抗すること。時として、ここに直接的な政治主題が絡んでくる場合もあるだろうが(実際、そのような作品は過去において数多く書かれたが)、それも広義の「抵抗」のひとつの表れに過ぎない。重層的な、社会的レイヤーの内部においては、障害や抑圧は様々なかたちで姿を表すのである。このように「抵抗」を、音楽の生産行為一般にまで拡張して捉え直すことは、日常生活レベルで権力の消極的受容が進行する状況下においては、有効な突破口になるかもしれない。

この日、上演された作品は以下のとおり。東京現音計画は特異な編成のグループであるため、幾つかの楽曲では、作曲家の承諾を得て、使用楽器を変更することによって対応していた。いずれも、比較的わかりやすい仕掛けによって、さまざまな制度に対する抵抗のあり方を示す作品であり、沼野によるセレクトのコンセプトは明快である。

1:Steve Reich『Pendulum Music for 3 or 4 microphones, amplifiers and loudspeakers』(1968)
スティーヴ・ライヒ『振り子の音楽』
ステージ上には、四台のスピーカーが上向きに置かれ、それぞれのスピーカー上には、四本のマイクが吊るされている。そして演奏家が登場し、この吊るされたマイクを振り子のように揺らすことで、周期的なハウリングを発生させる。四つの周期のズレがミニマルミュージック的な複雑性を生成しはじめると、演奏家はすぐに退場し、マイクの揺れが自然に収まるまで作品演奏は続けられる。初期のライヒの作品には人為性を排除しながら、機械的な方法によって構造を前景化させるコンセプチュアルな方向性が存在しているが、それを最もよく示した作品だと思う。

2:Paolo Castaldi『Elisa Per Pianoforte』(1967)
パオロ・カスタルディ『エリーザ』
イタリアのレーベルCRAMPSの「nova musicha」シリーズの5番にも作品を残している、カスタルディのピアノ曲。沼野の解説によると『エリーゼのために』をモチーフとしながらも、それを脱臼させた複雑な記譜となっているらしい。聴衆からしてみれば、表面的には素人のピアニストによる危なっかしい演奏に聴こえるのが面白い。最後にピアニストが声を上げながら鍵盤を叩いて終了。

3:Chaya Czernowin『Die Kreuzung for Accordion, alto saxophone, and Tuba』(1995)
ハヤ・チェルノヴィン『雑種』
初めて名前を聞く作曲家、ハヤ・チェルノヴィンによる、アコーディオンとサクソフォンとコントラバスのための作品だが、今回はコントラバスがチューバに変更されている。それぞれの楽器が別々に動き、時として奇妙なまとまりを見せながら進行する。カフカから取られたタイトルの通り、不条理な音の駆け引きが楽しめた。

4:Christian Wolff『Exercise 5 for 2 or more players』(1973〜74)
クリスチャン・ウォルフ『エクササイズ5』
二人以上の演奏家のための作品で、今回はサクソフォン、チューバ、パーカッション、ピアノによる編成である。沼野の解説によると、解釈を演奏家に任せた上で、複数人にひとつの旋律を演奏させるというコンセプトらしい。今回の演奏では、まるでゲームのように各人が自由な駆け引きを展開しており、先の『雑種』にも共通する不条理さが存在していた。また、この演奏家の駆け引きに協働的な社会性を見出すならば、近年の現代美術における、小グループ内での協働モデルを提示するタイプの作品との間に、共通性を指摘できるかもしれないと思えた。

5:Horaţiu Rădulescu『The Origin for one pecussionist with two bass drums』(1997)
ホラチウ・ラドゥレスク『オリジン』
ラドゥレスクというと、スペクトル学派の作曲家ということ程度しか知らない私だが、これは二台のバスドラムによる、一人のパーカッション奏者のための作品であり、とても興味深かった。一聴するとスローなパーカッションの連打であるが、倍音の響きに奇妙な違和感が残る。沼野の解説によると、パーカッションを一つの音響の塊としてみなしたような、相当複雑な拍子の構成が試みられているようだ。

6:Svetlana Lavrova『Gravity for oboe, saxophone and electronics』(2013)
スヴェトラーナ・ラヴロヴァ『重力』
初めて名前を聞く作曲家、スヴェトラーナ・ラヴロヴァによる、オーボエ、サクソフォン、エレクトロニクスという編成による作品。あまり期待はしていなかったのだが、引き伸ばされた管楽器の微細な響きにノイジーな電子音が絡まるという内容で、なかなか楽しめた。

7:Joakim Sandgren『Objets saisis pour saxophone et ordinateur』(2011〜12)
ヨアキム・サンドグレン『押収品』
こちらも初めて名前を聞く作曲家、ヨアキム・サンドグレンによる、バスクラリネットとエレクトロニクスのための作品だが、今回はバスクラリネットがテナーサクソフォンに変更されている。4チャンネルの間欠的な電子音に、サクソフォンによって発生する奇怪な音響が絡まる。管楽器でこのような音を出すことが可能なのかと驚いた。明らかにノイズリスナー向けの作品であり、大変興味深い。

8:Louis Andriessen『Workers Union for any loud-sounding group of instruments』(1975)
ルイ・アンドリーセン『ワーカーズ・ユニオン』
この日の「新しい抵抗」のあり方を示すプログラムの締めくくりは、直接的に政治的題材を取り扱う作品として、アンドリーセンの『労働組合』がセレクトされていた。この作品は「大音量の楽器グループのための」と指定されているように、とにかく大音量で演奏することが求められている(この日の編成は、オーボエ、サクソフォン、チューバ、パーカッション、アコーディオン、ピアノ)。楽曲は、まるでフランスのプログレバンド、マグマを思わせるようなテンションで、全楽器のユニゾンにより進行してゆく。演奏という労働行為を政治的に捉え直した、極めてラディカルな作品だと思えた。それは政治的な音楽としては、数多の労働歌よりも直接的なものだろう。

Vatican Shadow – Media in The Service of Terror

つい先日のPrurientとしての『Unknown Rains』のリリースを経て、ドミニクはVatican Shadow名義での活動も再始動させた模様。現在のところダウンロードでのリリースのみだが、テープフォーマットでのリリースもアナウンスされている。内容に関してはフロア対応になったMuslimgauzeであるといえ、その方向を引き継ぐものであることはコンセプト的にも明白。

「混沌が意味するもの──松本俊夫アヴァンギャルド映像特集上映」の記録

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著作集成刊行開始を記念して、5月28日から6月3日まで一週間にわたってアップリンクで催された、「混沌が意味するもの──松本俊夫アヴァンギャルド映像特集上映」が無事終了しました。ご来場頂いた皆さま、ありがとうございました。上映会としては連日多くのお客さんに来て頂き、大成功でした。特に作曲家を招いた「湯浅譲二の映画音楽」特別プログラムは満席となり、せっかくお越しい頂いたのに入場できなかったお客さんもおられ、申し訳なかったです。所々記憶が抜けるくらい忙しく、ほとんど写真を撮れなかったので、一番上の写真以外は川崎さんのFacebookから転載です。上段から湯浅さん+川崎さんによるトーク、江口さん+佐藤さん+私によるトーク、上映初日にギリギリ間に合った第I巻と、おまけのアヴァンギャルドステッカー(?)の写真です。

トークイベントの構成についても、ちょっと書いておきます。これらのトークは、最初から評論編と実作編で分けることを考えました。さらに評論編はAプロに対応した「松本俊夫と前衛記録映画」(江口浩+佐藤洋+私)と、B・Cプロに対応した「松本俊夫と映画の変革」(西嶋憲生+平沢剛+私)に分けて、1968年で区切るような形で、各時代の作家の活動をテーマとしてみました。実作編は映像と音楽それぞれに焦点を当てる形で、「体験的日本実験映画史」(石田尚志+西村智弘)と、「湯浅譲二の映画音楽」(湯浅譲二+川崎弘二)という形で組んでみました。

湯浅さんと川崎さんによる「湯浅譲二の映画音楽」のトークは、作曲家の創作の初期衝動にせまるような大変充実したものとなり、客席におられた現代音楽関係の方々にも満足してもらえたのではないかと思います。私としては「松本俊夫と前衛記録映画」のトークのなかで、いままで見過ごされてきた松本俊夫の少年期〜青年期の風景に光を当てることができて、とても満足しています。他にも「体験的日本実験映画史」のトークは、一人の作家が松本俊夫をどのように受容したかをテーマに、西村さんが石田さんの言葉を引き出してゆく形で進められました。これが作り手ならではの実践的な立場から発される名言連発のトークとなり、感銘を受けました(打ち上げでは馬鹿話に終始して、私が受けた感銘が、石田さんにうまく伝わってなかった気もするが…)。「松本俊夫と映画の変革」のトークは、松本俊夫の政治的な立場の変遷に対する評価や、当時高校生だった西嶋さんから見た1960年代末の新宿の風景など、掘り下げたいテーマが幾つか出てきたものの時間切れで勿体なかったので、別の機会を設けてもっと深めたいところです。

次は著作集成第II巻の刊行時に、また違う切り口でイベントを催したいと考えていますので、ご期待ください。という訳で、また半年ほど編集・調査に没頭します。

追記:著作集成第I巻に情報の訂正がありましたので、正誤表を確認ください。申し訳ありません。